文・構成:加藤聖隆 × ChatGPT
甲府の夜は、どこか不思議な静けさをまとっている。
その静けさの中に、目には見えない熱がこもる──そんな場がある。
甲府駅近くのイタリアンレストラン「PIZZA BAR NAPOLI」。
ここに集う人々のあいだで、ある“証明”が静かに始まっている。
地元の身体感覚と、グローバルな問い
2025年6月19日、Mt.Fujiイノベーションサロンが終わった後のNapoli。
市役所の職員、大学の教員、起業家、学生、そして私たち理事陣。
皆、遠くからやって来たわけではない。ほとんどが、Napoliから車で15分から30分圏内に暮らす人たちだ(きっと、私は県外なので、物理的な距離感がわからないのだが)。
しかし、話題は決して“ご近所”にはとどまらなかった。
語られるのは、脱炭素、地域課題、都市の未来、そして起業家精神。
行政の中の人と、大学4年の佐藤孝太くんが、甲府というまちの未来を即興で語り合う。
それはまるで、立場ではなく構えで応答するセッションだった。
境界が消える場──Napoliという“構えの装置”
Napoliには、議事録もなければ、司会者もいない。
しかし、そこには確かに“場の設計”がある。
- テーブルの距離は近く、
- ピザを囲んで肩書きはほどけ、
- ワインの香りが、語りに余白をつくる。
すると、語る内容は自然と境界を越える。
ローカルとグローバル、行政と民間、若者とベテラン。
本来交わらないはずの線が、Napoliでは重なり合って響き始める。
これは、「まちづくり」ではない。
これは、「問いづくり」だ。
Napoliは、その問いが火をともす“発酵の装置”となっている。
なぜ、Napoliでは語れるのか?
東京では、こうはいかない。
交流会という名の名刺交換、肩書きの応酬、予定調和のフィードバック。
熱はあっても、共鳴が生まれない。
だがNapoliでは、それが起きる。
なぜか? それは、「関係性の速度」が違うからだ。
参加者たちは、暮らしの延長線上で場に立っている。
“ここでまた会う”という予感が、語りを深める。
そこには、地元に生きる身体性=リアリティがある。
同時に、そのリアリティに縛られず、自由に未来を語れる余白がある。
それが、Napoliという場の“魔法”なのだ。
Napoliという証明
Napoliで起きていることは、偶然ではない。
それは、**「どこにでもあるはずなのに、どこにもなかった場」**の立ち上がりだ。
地元の人たちが、境界を越えて語る。
制度や世代をまたいで、未来を問う。
構えが響き、次の動きが自然と立ち上がる。
それは、Mt.Fujiイノベーションエンジンが秘めた“駆動力”であり、
Napoliという場所が示す、**「場のデザインではなく、構えの共鳴」**によって起こる現象である。
そして未来へ
「Napoliを起業家の“聖地”にしよう」
戸田さんの言葉が、冗談に聞こえない夜だった。
なぜなら、それは「場所を神格化する」という意味ではなく、
**「どこにでもNapoliのような場はつくれる」**という、未来への投げかけだからだ。
Napoliとは証明である。
“境界を超える場”は、地元から立ち上がることができるという証明。
そして、それを信じる人々が、次の構えを生み出していくという証明である。
この夜のNapoliは、まさにその始まりだった。