文・構成:K.Kato × ChatGPT
異分野の人たちが出会う場には、独特の熱がある。
それぞれが持ち寄った背景、文脈、問題意識がぶつかり合い、普段とは異なる角度からの視点に出会える。
2025年6月20日に開催された「Mobility for Humanity」の設立イベントも、まさにそうした熱のある場だった。
官民学の境界を越え、難民、労働、地域、教育といった複数のテーマが交錯するその場所では、いつもとは異なるタイプの人たちと深く対話することができた。
けれど一方で、こうした場において、私の中にいつも生まれる違和感がある。
──なぜ、これだけ刺激的な出会いがあったにも関わらず、何も生まれないことが多いのだろう?
その違和感は、やがて確信に変わっていく。
議論とアクションのあいだに横たわる構えの差
多くの場合、異分野の交差点は、「議論すること」に満足して終わってしまう。
お互いに新鮮な視点を交わし、言葉が響き合ったことで、まるで何かが始まったかのような錯覚に包まれる。
だが、起業家はその場にとどまれない。
彼ら/彼女らは、議論から一歩踏み出して「次の動き」をつくる構えを持っている。
言葉のままで終わらせず、現場に持ち込み、形にしようとする。
この違いは小さなものに見えて、実は非常に大きい。
構えそのものが違うのだ。
- 議論に構える人は、調和と発見を求める。
- アクションに構える人は、矛盾と摩擦に飛び込む。
そのあいだには、見えない亀裂が走っている。
ジャズでも、オーケストラでもない「第三の構え」
私はこれまで、共創の場を**「ジャズセッション」**にたとえてきた。
即興的で、互いの呼吸を感じながら場をつくる営み。
しかし、Mobility for Humanityのようなテーマ──難民就労、多文化共生、産業連携──の現場では、セッションだけでは足りないこともある。
スピードが、規模が、構造が、即興性を超えてくる。
かといって、オーケストラのように厳密なスコアがあるわけでもない。
全体を事前に設計し、誰もが役割通りに動くような構えは、異分野のダイナミズムを殺してしまう。
そこで私の中に浮かび上がってきたのが──**「One Piece的海賊同盟」**という構えだった。
One Piece的「共創の構え」とは何か
それは、強い統治でも、放任的な即興でもない。
それぞれが自律した航海を続けながら、必要なときに、必要な仲間たちと手を組む。
- 自分の「船(=テーマ、組織、立場)」を持ち、
- 一定の目的や状況において「共鳴」した者たちが、
- ルフィのような中心的エネルギーに引き寄せられながら、
- しばしの共闘をする。
この連携の鍵は、信頼と構えの響きだ。
指示系統ではなく、目的と感性の共振によってのみ動くネットワーク。
この“海賊同盟的な構え”こそが、議論に満足せず、アクションを求める起業家たちを結びつける実践的フォーマットになり得る。
「意味ある行動」を起こすための微細な調律
こうした構えを機能させるためには、少なくとも**一人の“調律者”**が必要になる。
それは指揮者ではない。すべてを設計するわけでもない。
むしろ、異なる船がすれ違いざまに信号を交わすような微細なタイミングを見極め、
動き出しのエネルギーを逃さず、流れを生み出す存在。
“波の先を読む”人。そういう存在がこの構えを可能にする。
もしかすると、それは私たち自身なのかもしれない。
結びに──“連携”という航海を始めよう
Mobility for Humanityは、「移動」というテーマのもとに、既存の枠組みを超えた関係性を生み出そうとしている。
その意味で、単なるプロジェクトではなく、新たな「同盟」の原型ともいえる。
昨日のイベントで出会った人々の中にも、明らかに「構えを持つ者」がいた。
もし彼らとともに、一歩踏み出すことができれば──
議論はやがて行動に、行動はやがて航海に変わるだろう。
スコアなき共創の旅が、今、始まりつつある。