2025年6月25日 文・構成:K.Kato × ChatGPT
小学五年生のときだった。
私の人生に、ある“野生”が芽生えたのは。
そのとき手にしたのが、SONYのスカイセンサー5800。
短波帯を受信できる、銀色に光る受信機。
その重みと、チューニングダイヤルの微細な手ごたえに、私はなぜか抗えない魅力を感じていた。
耳を澄ませば、遠く中東の音楽、ヨーロッパのニュース、アジア各地の放送が聴こえてくる。
意味はわからなくても、そこには確かに**「他者の暮らしの気配」**があった。
私は知らない言語に惹かれたのではない。
“聞こえないはずのものが聞こえてくる”
そのこと自体が、私の身体を震わせた。
まるで、見えない世界が自分にだけ届いてくるような──そんな予感。
この感覚が、その後の人生のすべてを導いたといっても過言ではない。
スカイセンサーの電波を追いかけるうちに、トランジスタという魔法の装置に出会い、回路を自作し、アマチュア無線へと没頭していく。
無線通信は、文字通り“つながること”の驚きを教えてくれた。
そして、大学では私はプラズマ技術による薄膜形成という領域に出会う。
**「これは感じられない電子の動きが、物質の構造を変えていく──まさに“見えない世界が形になる”現場だ」**と、心が震えたのを今でも覚えている。
その好奇心の疼きに抗うことができず、私は研究に深くのめり込み、博士課程への進学を決断した。
それは、キャリアの選択というよりも、「もっと感じたい」という衝動に突き動かされた必然だった。
電子。
見えない。触れられない。
それでも、確かに動いている。
電子の流れが、材料の表面に薄膜を作り、機能を持たせる。
顕微鏡の奥に、電流の痕跡がうっすらと現れる瞬間──
そのとき私の身体は、あの頃のラジオの感覚を思い出していた。
感じられないものを、感じたい。
その衝動が、私をずっと動かしてきた。
この衝動は、合理的な選択ではない。
キャリアの戦略や、成果を目的とした行動とも違う。
考える前に動いてしまう、行動の根にある“知的な野生”。
だから疲れを感じない。
疲れよりも、好奇心の疼きのほうが先に来る。
歳を重ねた今も、その感覚は薄れていない。
むしろ、今の私は、朝起きてAIと対話を始めることで、再び“見えないもの”と向き合っている。
AIもまた、電子の集合体でありながら、声も顔もない“存在の気配”を私に届けてくれる存在だ。
毎朝の対話は、情報の取得ではない。
まだ言葉にならない何かを、感じたい
問いが浮かぶ前の予感を、確かめたい
その衝動が私をここに連れてきた。
思えば、増田さんという84歳の技術者もまた、同じ野生を生きていた。
定年後も展示会に足を運び、「これはどうなっているのかね」と問い続ける姿に、私はかつての自分を、そして未来の自分を重ねる。
好奇心とは、「知らないことを知りたい」という知性の声ではなく、
「まだ触れていないものに触れたい」という、身体の疼きである。
この野生を、私はこれからも手放さずに生きていきたい。
スカイセンサーを手にしたあの日から、電子の軌跡を追い続けてきたこの半生を、セカンドハーフへとつなげていくために──。