2025年6月 文・構成:K.Kato × ChatGPT
PLP──パネル・レベル・パッケージ。
素材も装置も技術も揃っている。日本が得意とする精密な職人技術も健在だ。だが、私は予感している。この分野でも日本は、敗れるかもしれない。
なぜなら、そこには設計思想も、顧客も、国内には存在しないからだ。
レゾナックのRDL配線技術、SCREENの大面積対応露光装置、TOWAのモールディング技術──すべてが素晴らしく、世界トップレベルだ。だが、それを何にどう使うのかという構想=問いがなく、必要とする市場=顧客が海外にしかいない。結局、日本は「言われたものを作る国」にとどまり、技術はまた“市場なき技術”として浮遊する。
この構造に、私はどこかで見た風景を重ねている。
能登半島の震災後の復旧だ。甚大な被害の中、私たちはいまだ「元に戻す」ことを前提にインフラの再設置を語っている。だが、それを再び敷くための資金も人手も、そして持続性も、もはやない。
ならば問うべきは、「どう戻すか」ではない。
どう変えるか──である。
そう考えたとき、最近注目したのが、OISTとミサワホーム総合研究所によるプロジェクトだ。モバイル水素カートリッジを用いた分散型エネルギー搬送の試み。
キャンパス内で生まれる余剰電力を、グリーン水素として蓄え、必要に応じて建物へカートリッジ搬送する。配電網に頼らず、仮設的かつ柔軟にエネルギーを“火”として届ける構え。これは、まさに火を囲むようなエネルギー設計の現れに見えた。
そしてこの構えは、SINIC理論の後半──自律社会から自然社会への移行というビジョンに重なる。
技術が中心にあるのではなく、人と場の共鳴によって秩序が立ち上がる社会。そこでは、構えを持つ個とコミュニティが、技術を選び、問いを立て、実装していく。
この構造転換は、医療・健康の領域でも起きつつある。
バイタルデータを日々自ら取得し、必要なときに専門家とつながる“共設計の健康”。これは病院に“従う”のではなく、自らの身体とともに“生きなおす”構えへと進化しつつある。
そして、ここが決定的に重要だ。
エネルギーとヘルスケアという二大分野においては、「国内に課題があり、そして市場もある」。
エネルギーでは、災害・過疎・高齢化に起因する電力供給の脆弱性という課題が山積しており、分散型・自律型のシステムを求める声は地域に明確に存在する。
ヘルスケアでも、高齢化と医療費の増大という構造的問題を前に、“日常の健康”をマネジメントする仕組みは今後確実に拡大する市場である。
つまり、PLPのように「設計と顧客が海外にある」分野とは異なり、エネルギーとヘルスケアでは、日本こそが最前線の“生活課題先進国”であり、ローカルにこそ設計すべき理由と使う相手が存在するのだ。
PLPでの敗北は、設計なき技術の行き着く先だったかもしれない。
だが、今語られつつあるエネルギーと健康の再構築は、「問いを持ち、設計する構え」から始まる社会の再編集である。
その舞台は、地方だ。
そこにはまだ市場はないかもしれない。
だが、「問い」がある。火を囲むような構えが芽吹いている。
SINIC理論の“後半”とは、待つものではない。
構えとして生きることで、私たち自身がその未来を点火していくのだ。