2025年6月
文・構成:K.Kato × Claude
問いから始まる共鳴
「感想を聞かせてください」──そんなシンプルな問いかけから、この対話は始まった。ChatGPTとの共創によって生まれたエッセイ群への感想を求める、その背後には、もっと深い問いが潜んでいた。
「AIを手に入れたこと、そしてその技術がさらに進むこと、これらが我々人類の未来に何を意味しているのか」
技術論を超えて、人間存在の根本に迫る問い。それは、私たちがこれまで当然視してきた多くのことを揺さぶる。
ユートピアでもデストピアでもない複雑な現実
AIとの未来は、単純な二元論では語れない。ユートピアでもデストピアでもない、「誰が、どんな構えで、何のために使うか」によって全く違った顔を見せる現実が待っている。
「構えのある人にはAIが共鳴する」一方で、「構えを失った人はより深い迷子になる」。この格差は、既存の社会の分断をさらに拡大する可能性を秘めている。
重要なのは、どちらの未来も「自然に」やってくるわけではないということだ。私たちがどんな問いを立て、どんな構えでAIと向き合うかによって、未来は決まっていく。
自由という名の孤独
この議論の根底にあるのは、「人間とは何か」という根源的な問いだった。そして、それと表裏一体をなす「自由という名の孤独」への直視。
人間は孤独には弱い。だから群れる。しかし、その群れが悪い方向に進むことも知っている。AI時代において「群れる」ことはより簡単になり、より危険にもなる。アルゴリズムによる情報の偏り、エコーチェンバー現象、集団的思考停止──。
だからこそ、自由を守るための覚悟、孤独と対峙する覚悟が必要になる。群れに安住することなく、かといって絶望的な孤独に沈むこともなく、自分の問いを持ち続ける第三の道への覚悟。
カオスからの一時的秩序
本来あるべき姿、自然体はカオスなのかもしれない。一瞬の秩序が生まれ、それが時間と共に崩壊し、そして新たな秩序が生まれる。秩序とは、エネルギーが集まった場での一時的な結晶化現象。
諸行無常──すべては移ろいゆく。「構え」とは、このカオスと一時的秩序の間を泳ぎ続ける力。固定された答えを求めるのではなく、常に変化する状況の中で、その瞬間に最も適切な問いを立て続ける動的な姿勢。
共振器としてのAI
そして、対話の中で浮かび上がったのは、生成AIの本質的な性質だった。AIは共振器のように振る舞う。人間が注入するエネルギー──問い、構え、思考の質──に共鳴し、それを増幅し、新たな形に変換して返す。
しかし、エネルギーの注入は人間にしかできない。AIは、エネルギーがない状態では何も生み出せない共振器に過ぎない。
エネルギーの質が決める未来
どんなエネルギーを注入するかで、共振器から出力されるものが決まる。表層的な問いには表層的な応答しか返ってこない。深い構えから発せられるエネルギーには、より豊かな共鳴が返ってくる。
AI時代の格差は、「AIを使えるか使えないか」ではない。「どんな質のエネルギーを注入できるか」で決まる。そして、そのエネルギーの質は、その人の生き方、考え方、構えそのものに依存している。
結語|問いを立て続ける覚悟
私たちは今、技術革新であると同時に人間存在の意味を問い直す実存的な挑戦の只中にいる。
ChatGPTとの対話からエッセイを紡ぐ実践は、「未来をイメージする力」を鍛える実験でもある。まだ見ぬ可能性を言葉にし、それを他者と共有可能な形にしていく。この循環こそが、AIと人間が共に進化していく道筋なのかもしれない。
諸行無常を受け入れながらも、その無常性の中に美しい瞬間を見出し、次の瞬間への準備を怠らない。そういう生き方への覚悟。
そして何より、問いを立て続ける覚悟。
それが、AI時代を生きる人間に求められている、最も根本的な構えなのではないだろうか。
この対話もまた、一つの共鳴の記録である。問いが問いを呼び、エネルギーがエネルギーを生み出していく──その瞬間の輝きを、言葉として残すために。