2025年6月26日 文・構成:K.Kato × ChatGPT
小諸という町に、「kozorite」という小さな空間があることを知ったのは偶然だった。
けれど、偶然とは思えないほど、私がこれまで語ってきた問いと、響き合っていた。
店主は医師であり、料理人であり、語り手である。
そのすべてが、「食事の場を通じて人と人とをつなぐ」という一点に集約されていた。
単なるバールでも、地域の交流スペースでもない。
そこは、問いを持ち寄り、火を囲むように語り合い、
癒しと実践がゆっくりと編まれていく「構えの場」だった。
技術ではなく、「問い」から始める
私は以前、PLP──パネル・レベル・パッケージという先端技術の未来について書いた。
素材も装置も世界に誇れる日本の技術が揃っているにもかかわらず、
そこに「設計思想」も「顧客」もないことで、再び“市場なき技術”として敗れるのではないか──そんな懸念だった。
技術はある。けれど、それを「どう使うか」「なぜ使うか」を設計することができなければ、未来には繋がらない。
それに対して、kozoriteはまさに“問い”から設計された場だった。
- 医療とはなにか?
- 孤独とはどう向き合えるのか?
- 人の幸せに、食事の場はどのように寄与するのか?
その一つひとつの問いが、カウンターの高さ、メニューの一皿、イベントの空間設計にまで宿っている。
「地方発」とは、構造の余白にある設計の可能性
東京や大都市では、課題は見えても、構造が既に硬直していて設計の自由がない。
一方、地方には問いがあって、未構築の余白がある。
kozoriteのような実践は、その余白に**「個人の構え」が差し込まれた瞬間の風景**である。
これは、単なるスモールビジネスやローカルな活動ではない。
個人の願いと、地域の課題とが、設計思想を通じて一つの形に変わるプロトタイピングの現場だ。
私が「地方発設計思想」と呼ぶとき、それはこうした未定義の空間に、問いを媒介にして秩序が芽吹くことを意味している。
SINIC理論の“後半”としてのkozorite
SINIC理論が示した「自然社会」──中央集権ではなく、個と個の共鳴から秩序が生まれる社会。
kozoriteは、まさにその萌芽に見える。
店主が最初に持っていた問いは、「わたし」の物語として始まった。
だが、それは仲間を呼び、「わたしたち」の物語へと変化しつつある。
さらに今、その「わたしたち」が、それぞれの願いを持って行動を始め、
小さな幸福(ウェルビーイング)が地域に伝播している。
それは、構造変化の物語でもある。
中央で起こるべきものではない。
地方の余白から、自律的に生まれていくものである。
火を囲むように、また一つ、訪ねてみたい場所ができた
私は、まだkozoriteを訪ねていない。
けれど、すでにその場の空気を少しだけ知っているような気がする。
それは、おそらく**「構えの重なり合い」が起こったから**だ。
医療、食、孤独、幸福、問い──
すべてが言葉としてではなく、「行為」としてデザインされているその場に、
今こそ訪ねてみたいと、静かに思っている。
火を囲むように設計されたkozorite。
それは、技術の未来でも、ビジネスの未来でもなく、私たちの生き方の未来の実験場である。
そしてなにより、この場を立ち上げた店主は、まだ29歳の若き挑戦者であるということ。
その年齢でここまでの構えを持ち、問いを実装にまで昇華している姿勢に、私は深い敬意と希望を感じる。
若さは、可能性ではなく「すでに起こっている変化」なのだ──
このような未来が、地方から芽吹いていることに、私は静かに震えている。