2025年6月26日 文・構成:K.Kato × ChatGPT
1本の論文から、思わぬ旅が始まった。
アメリカ・アトランタにおける起業支援組織(ESO)の空間的偏在──その事実を突きつけたClaytonらの論文は、「支援とは誰のために、どこに、どのようにあるべきか」という構造的な問いを投げかけていた。そこから私たちの対話は、日本の地方における「問いと構え」に視点を転じた。
たとえば、小諸市にある「kozorite」という小さな場。医師であり、料理人でもある29歳の若者が営むこの空間は、医療・孤独・食といった根源的な問いをカウンターの高さにまで落とし込み、人々を静かにつなげている。制度による支援が届かない土地で、“構えを持った個人”がその機能を内包している──それはまさに、一人ESO的な存在である。
佐久では、江原政文さんが運営する「ワークテラス佐久」が、地域に根ざした働き方と対話の場を設計し続けている。さらに飯綱町には、「みみずや」という拠点がある。旧校舎を再生し、農・食・土を通じて人々の関係を耕す場。私はかつて、その代表とオンラインで語り合ったことがある。
これらはすべて、「起業」という言葉ではとらえきれない、生き方の実験である。
支援を“与える側”と“受ける側”に分けるのではなく、問いを持ち寄り、共鳴しあいながら形にしていく。
アトランタの都市周縁に「ESO空白地帯」があるように、日本の地方にも同様の支援の“届かなさ”がある。だが、その空白を埋めるのは、制度や拠点ではなく、“構えた個人”の存在そのものかもしれない。
Mt.Fujiイノベーションエンジンという山梨のプラットフォームは、そうした一人ESOたち──kozoriteの店主や、みみずやの代表、江原さんのような人々──をつなぐ場として、これからの新しい支援エコシステムの触媒になりうる。
いま必要なのは、「支援のネットワーク」ではなく、「問いの共鳴体」である。
火を囲むように、それぞれが自分の小さな問いを持ち寄り、語り、また歩き出す。
そのような“生き方の未来試作”が、地方という余白から静かに立ち上がりつつあることに、私は深い希望を感じている。
Claytonらの論文が照らしたのは、都市の空白地帯だけではない。
その先に、私たち自身の構えと問いが重なり合い、つながりうることを教えてくれたのだ。
──構えある個人たちが、火を囲むように出会う。
そこから始まる未来に、私は静かに震えている。