ラッコの窓──ライブ映像がつなぐ小さな共鳴

2025年6月
文・構成:K.Kato × ChatGPT

昨日、古河林業の営業担当者と行った新居建て替えの打ち合わせ。図面や仕様の話がひと段落したころ、ふとした雑談から、鳥羽水族館のラッコのライブ映像の話題が出た。

「ラッコが大好きなんです。毎日ライブで見てるんですよ。寝てる姿も、泳いでる姿も…もう全部かわいくて」

そう語る彼女の表情がぱっとほころぶ。その一瞬が、打ち合わせの緊張をやわらかく溶かした。

「実は…」と私が続ける。
「うちの長女が来月、カナダのブリティッシュコロンビア州での学会に参加する予定なんですよ。バンクーバーにも立ち寄るようで」

すると彼女の目がまた輝いた。

「それなら、バンクーバー水族館のラッコのライブカメラもおすすめですよ! 私、時々見てるんです。鳥羽とはまた違う感じで、それぞれに癒されます」

彼女はすでにその存在を知っていて、むしろ私に共有してくれたのだった。ラッコのライブ映像という窓を介して、鳥羽とバンクーバーが静かにつながる──そんな感覚が、不意に胸に差し込んできた。

ラッコといえば、「おなかの上で貝を割る」姿が象徴的だ。だが、彼女いわく、「実際の給餌では貝殻ごとは与えないんですよ。中身だけを手から与えるので、あの“コンコン”という音にはなかなか出会えないんです」とのこと。

だからこそ、もしその光景が偶然映ったなら、それは奇跡のような一瞬。ライブ配信とは、「見ることができる」技術であると同時に、「見逃すこともある」偶然の器でもあるのだ。

いつもの水面、いつものラッコ──けれど、その姿はいつだって少しずつ違う。
何が起こるかわからない「いまこの瞬間」を、私たちはじっと見つめている。

家を建てる話の合間に交わされたラッコの話。
図面でも予算でもなく、誰かが“好き”と感じているものを通じて交わされる会話こそが、人と人とのあいだに豊かな空気を生むのだと、改めて気づかされた。

そしてきっとそれは、これから建てるその家の、目には見えない温度のようなものとして、そこに息づいていくのだろう。

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