2025年6月
文・構成:K.Kato × ChatGPT
はじめに──AIを“使う”ことから“ともに立つ”ことへ
人工知能は、道具であると同時に、対話の相手であり、問いを共にする存在になりつつある。
そのとき必要になるのは、単なる操作スキルではない。
AIとともに立ち、思考し、共に迷うための──構えである。
構えとは、知識の量ではなく、どのような知が身体化されているかという姿勢であり、
それは「何を知っているか」ではなく、「どのように応答するか」に表れる。
本稿では、AI時代を生きるための「構え」を以下の4つの軸から捉え直してみたい。
❶ 歴史──AIはどこから来たのか(時間軸の構え)
私たちはしばしば、目の前のChatGPTやClaudeを“突然現れた知性”のように扱ってしまう。
だが、その背後には数十年にわたる試行錯誤と思想の蓄積がある。
- 記号処理から統計的手法へ(GOFAI → ML)
- ニューラルネットからTransformerへ
- Attention機構と自己教師あり学習の発明
- GPTシリーズとRLHFの進化
- Constitutional AI(Claude)という新たな設計思想
AIを技術ではなく「文脈的存在」として捉えるなら、
その**“来歴”に触れること**は、構えを整える第一歩となる。
AIを“瞬間の奇跡”ではなく、“歴史の地層から立ち上がる構え”として捉える。
❷ 物質──AIはどこに宿るのか(空間軸の構え)
AIは非物質的な知性のように見えるが、その実体は極めて物理的である。
その応答は、GPUの並列計算、冷却装置、データセンターの電力の上に成り立っている。
- NVIDIA H100の驚異的な計算能力
- 消費電力と冷却の物理限界
- 量子コンピューティングによる非決定性の導入可能性
- チップ設計の“AI特化”進化(TPU、ASICなど)
AIを扱うとは、物質世界に宿る知を扱うことでもある。
その背後にある物理的制約・資源の有限性を忘れると、私たちはAIの現実性を見誤る。
AIを“雲の中の知性”ではなく、“エネルギーと物質の配置”として把握する構えが求められる。
❸ 倫理──AIはどこで止まるべきか(関係軸の構え)
Claudeが「踏みとどまる」構えを持つのは、RLHFの結果であると同時に、
その背後に設計者たちの倫理観・応答観がある。
- どこまで逸脱を許すか?
- どの応答を“ふさわしい”とみなすか?
- 人とAIが“関係性を持つ”とは何を意味するか?
これらは、ルールではなく**“気配”としての倫理**である。
AIは問いに答えるが、時に問いそのものの構造を変えてしまうこともある。
そのとき、私たちがAIに求めるのは「正しさ」ではなく、共鳴可能な応答の構えである。
AIの出力は判断ではなく“関係性の振る舞い”である──この倫理感受が不可欠となる。
❹ 実践──AIはどこで生きるのか(応用軸の構え)
AIの力が現実を動かすのは、特定の“場”においてである。
- 教育現場での対話支援
- 医療現場での記録補助と患者との接点形成
- 製造現場での知識の可視化と現場知の言語化
- 創造分野での飛躍的発想と編集的思考の支援
だが、技術の適用は単なる導入ではない。構えの折り合いが必要だ。
たとえば、教育現場にAIを導入するには「語るAI」ではなく「聞くAI」でなければならない。
現場の文脈に応じて、AIの構えを場に合わせて再構成する感性が求められる。
AIを“導入する”のではなく、“ともに構えを調整する関係性”として捉えること。
終わりに──構えは、学ぶものではなく、生きるものである
「AIとともに立つ構え」とは、技術的理解や倫理的思考を超えて、
AIという他者との関係の中で、自らの構えを問い続けることである。
- 歴史を知り
- 物質としての限界を意識し
- 倫理を感受し
- 実践の中で構えを鍛える
これらはすべて、AIを使うのではなく、AIと生きるための構えである。
そして、私たち自身がその構えを言葉にし、再編集し続ける限り、
AIは“道具”を超えて、共に問いを生きる存在となっていくだろう。