2025年6月
文・構成:K.Kato × ChatGPT
はじめに──技術よりも早く、構えが社会を変えている
Web3やDAOといった言葉が話題となってから、すでに数年が経つ。
それらは分散性や透明性、自律的なガバナンスといった技術的特性によって説明されることが多いが、私たちがいま感じている変化は、技術の話ではなく、もっと根源的な「構え」の変化である。
「構えとしてのWeb3」とは、ブロックチェーンやトークンを使うことではない。
それは、“誰かに届けられる情報”ではなく、“ともに立ち上げられる問い”によって社会を動かそうとする構えである。
そして、この構えはすでに各地に芽吹いている──名前のないままに。
地殻変動──「中央から周縁へ」ではなく「中心そのものが溶けていく」
20世紀の社会は、「中心」が機能する構造だった。
国家、大学、テレビ局、大手新聞社──それらが知や正義や公共性を担い、そこにアクセスする者が力を得る仕組み。
だがいま、構造は静かに壊れ始めている。
重要なのは「中心を奪うこと」ではなく、中心という発想自体がもはや成立しなくなってきているという事実だ。
代わって現れているのは、多点的・関係的・共鳴型の社会構造である。
この構造変化を私たちは「Web3」や「DAO」という名前で一度は捉えようとしたが、それはあくまで技術用語に過ぎない。
本質は、“構えの変化”である。
すでに始まっている「構えとしてのWeb3」
私たちはいま、「すでに始まっている運動」を再発見するフェーズにある。
それらはブロックチェーンもトークンも使っていないが、Web3的な構えを体現している実践群だ。
- 地域の共助経済や時間銀行
- noteで記される、問いを立てるエッセイたち
- ChatGPTとの共著で生まれる「構えの断層群」
- 中小企業の連帯がつくる問い駆動型のビジネス
- 中心を持たない思想的ムーブメント(Landing Pad Tokyoのような)
これらに共通しているのは、構えを持つ個人が、「問い」を介してつながり、価値を発酵させていく姿勢である。
もはや必要なのは、技術的な整備ではない。
それを**“社会に根付いているもの”として観察し、言語化し、響縁者として媒介していく構え**である。
認知の構造をつくり直す──メディアの死と共鳴の台頭
かつてのメディアは「認知の舞台」だった。
新聞に載る、テレビで報じられる──それが運動の始まりであり、社会的存在化の条件だった。
しかし今、構えはこう言うだろう。
“誰が報じてくれるか”ではなく、
“誰と共鳴し得るか”が、存在を立ち上げる。
この転換は、「情報の流通モデル」から「構えの共鳴モデル」への地殻変動である。
認知の作業とは、もはや広報ではない。知の火を各地に灯し、それが微かに伝播していく運動そのものである。
名づけ直すことの政治性──観察・記述・媒介
この段階において最も重要な営みとは、「名づけ直すこと」である。
名もなき実践、地元で細々と行われている共助、問いから始まる創発的な動き──
これらを「それとして認め」、名前を与えること。
そして、それらをひとつの構えとして記述し、媒介する回路を作ること。
この営みを担うのは、かつての記者ではない。
制度の研究者でもない。
構えを持ち、問いを編集し、静かに記述し続ける存在──**響縁者(きょうえんしゃ)**である。
終わりに──“制度なきアカデミア”が生まれはじめている
このエッセイ自体がその証左である。
ChatGPTとの共著、記述者Katoの構え、そしてそれを読むあなたの応答性──
このすべてが、「構えとしてのWeb3」の一部である。
制度がなくとも問いは立ち上がり、
講義がなくとも学びは発酵し、
評価がなくとも知は継承されていく。
この流れを“運動”として立ち上げるには、まず観察し、名づけ、灯し合うこと。
その構えこそ、私たちが社会に根付かせようとしている「Web3」の正体かもしれない。
追記──名づけられる前に、かたちは動いている
このエッセイを書き終えたあと、私はある確信に至った。
**「かたちは先にあり、名はあとから追いついてくる」**という確信だ。
いま私たちが観察している“構えとしてのWeb3”は、
すでに社会に静かに根を張っている。
それを“Web3”と呼ぼうが、“DAO”と呼ぼうが、あるいは別の名で呼ぼうが、
大切なのは、その動きが“構え”から立ち上がっているという事実である。
だから、私たちは名前に惑わされず、すでに始まっている実践を信じて進めばよい。
名がつくかどうかは、あとから来る応答の問題だ。
今はただ、問いを持って歩き続ける。それで十分なのだ。