2025年6月、Googleが本気を出した。
それを最も端的に伝えたのが、THE GUILD代表・深津貴之氏による「もうすぐドラえもんです」という一言だった。
この記事(「Googleは『もはやドラえもん』生成AIマスターが注目する“ChatGPTよりすごい”5つの革新技術」)は、Googleが発表した一連のAI技術──AIモード・DeepThink・Project Astra・世界モデル・MCP──が、単なる新機能ではなく、未来の情報インフラを再構築する「OS的存在」になりつつあるという文脈で語られている。
しかし、この記事が示す本当の問いは、「何がすごいか」ではなく、**「Googleは何を狙っているのか」**という構造的な問いである。
“検索の次”を設計しにかかったGoogle
Googleの中核ビジネスであった「検索」は、ChatGPTの登場により、その存在意義そのものを揺さぶられた。従来の「答えを探す」から「AIが答えを返す」へ──このパラダイムシフトは、Googleにとって痛烈なシグナルだった。
だが今、Googleはその危機をチャンスに変えようとしている。
「AIモード」による“思考の代理”
「DeepThink」による“時間をかけた仮説検証”
「Project Astra」による“現実空間の把握”
「世界モデル」による“因果関係と未来予測”
「MCP」による“外部世界との接続”
これらを総合すると、Googleはもはや検索エンジンではなく、人間の「思考・判断・行動」すべてを内包するOS的存在になろうとしているのが見えてくる。
Microsoftとの違い──仕事の中に閉じ込められたAI
同じくAIの商用展開を急ぐMicrosoftは、CoPilotという形でOfficeスイートにAIを統合し、Azureという基盤とともに、「仕事」の中にAIを溶け込ませていく構えを取っている。
WordやExcelの延長線上でAIを使いこなすという戦略は、保守的である一方、確実でもある。多くの企業が既存インフラに乗せるだけでAIを導入できるため、実装スピードは早い。
だがそれは、「仕事=生産性」という文脈の中にAIを閉じ込めてしまう可能性もある。創造性や偶発性、あるいは現実世界との相互作用といったAIの本来持つポテンシャルが、オフィスの枠内に限定されてしまうのだ。
OpenAIの立ち位置──“私”との関係を作るOS
一方でOpenAIは、ChatGPTとそのエージェント機能(GPTs)、記憶(Memory)、ストア機能などを通じて、「パーソナルOS」の構築を試みている。
彼らの焦点は「情報を得る」ではなく、「私との関係をつくる」ことにある。ChatGPTは対話を通じてユーザーを理解し、寄り添い、学びながら進化する。これは、Microsoftの業務AIや、Googleの世界認識型AIとはまったく異なるベクトルであり、**BtoCではなく“BtoMe”**という新たなユーザー関係の提示でもある。
そして今、AIは“誰のためのものか”が問われている
ここで見えてくるのは、AIが単なる道具を超えて、「構え」としてのOSになろうとしているということだ。
その主導権を巡って、Google、Microsoft、OpenAIが、それぞれの文脈でAIを構築している。
- Googleは現実世界を再設計するOS
- Microsoftは仕事と生産性を支配するOS
- OpenAIは個人と対話を通じて育つOS
どれが「正解」かではない。どの構えに自分が関与しているのか、どのOSに自分の思考や行動が預けられているのかが、これからの時代を決定づける。
「月額250ドル」を課金できる者、される者
GoogleのAI Ultraプランは、月額250ドル。高額に見えるが、“AIパートナーを雇う”という感覚を持てる人にとっては、むしろ安い。
この投資ができる者は、自らの思考と構想にAIを組み込み、新たな価値を生み出す側に立つことができる。
逆に、そうでない者はAIによって生成されたコンテンツ、意思決定、広告の**“消費者”として構造化**されていく。
結語──OSとは技術ではなく「構え」である
OSとはOperating System──動かすための仕組みである。
だが、これからのAI時代のOSは、単にコンピュータを動かすためのものではない。人間を、そして社会を、どう動かすかという“構え”そのものがOSになる。
そして今、私たちはその選別の渦中にいる。
使う者か、使われる者か。
生み出す側か、消費する側か。
構える者か、従う者か。
──AIはもうすぐドラえもんになる。だが、その“ポケット”に手を伸ばせるのは、構えを持った者だけなのかもしれない。