「常に敬礼を守り、年長者を敬う人には、四種の事柄が増大する。すなわち、寿命と美しさと楽しみと力である」
──これは法句経第109偈の一節である。
この句を今の時代に響かせるとすれば、「敬礼」とは単なる上下関係ではなく、他者や世界に向けた開かれた構えとしての“敬意”であり、「年長者を敬う」とは、逆説的に「敬われるに足る年長者であれ」という問いとして立ち上がってくる。
近年、先端技術を携えて社会に挑んだ起業家たちが、それぞれの時間の中で10年、15年と経過し、経験を重ねて「年長者」となりつつある。その中には、技術の正しさと誠実さを持ちながらも、今の市場に必要とされていないと感じ始めている者も少なくない。
市場環境は整ってきた。自動化やAIの導入は加速し、現場からも変革のニーズは高まっている。それにもかかわらず、彼らのプロダクトが「呼ばれていない」とすれば、それは技術の不足ではなく、構えの問題なのかもしれない。
敬意は実績によって得られるものではない。それは、変わることを恐れず、他者に学ぶことを続ける姿勢──構えそのものに宿るものだ。若い起業家たちは、問いに向き合いながら今まさに挑戦の只中にいる。彼らを導こうとするのではなく、共に歩む構えでいられるかどうかが、年を重ねた者に問われている。
私自身もまた、かつてその岐路に立った。50歳での決断、そして事業の手放し。それは過去を否定することではなく、未来を他者と共につくるための“構えなおし”だった。
寿命・美しさ・楽しみ・力──この四つの「増大」は、年齢の報酬ではない。他者を敬う構えが、静かに自己の内側に返ってくるのだと、あの句は教えてくれている。
敬われる者であるよりも、まず敬意を払い続ける者でありたい。
その構えが、今という時代においてもっとも深く問われているのだと思う。