日本の良さとは何か──共生社会の前提としての「豊かさ」について

いま、在留外国人との共生、技能実習制度の再編、難民受け入れの是非、多文化教育の設計といった無数の課題が、日本社会の周縁から湧き出ている。

これらのすべてに共通して横たわっているのは、
**「私たちはどんな社会を目指すのか」**という、未来に対する構えであり、
その根底にはもう一つの、決定的な問いが潜んでいる。

それは──
「日本の良さとは、そもそも何か?」という問いである。

この問いに答えられないまま、寛容も、寛大も、ただのスローガンになってしまう。


■ 寛容は、余裕のある者にしか育てられない

寛容な社会、懐の深い国民性──
確かに、日本が長く美徳として育んできた価値観かもしれない。
しかしそれは、ある程度の“豊かさ”と“安定”という土壌があってこそ育つものだ。

もし生活がギリギリで、社会に閉塞感が充満していれば、
他者への理解や共感よりも、排除や防衛の感情が先に立つのは自然なことだ。

だからこそ、共生社会を構想する前に問わなければならないのは:

いまの日本人の「豊かさ」はどこにあるのか?


■ 経済的な豊かさだけでは測れない「豊かさ」

「豊かさ」というと、所得・資産・消費といった指標がすぐに思い浮かぶ。
だが今、私たちが問うべきは、もっと内面的・関係的な豊かさである。

  • 関係の豊かさ──人とのつながり、地域との縁、助け合いの文化
  • 時間の豊かさ──急かされず、余白を持ち、立ち止まれる時間
  • 精神の豊かさ──自らの生き方に意味を見出せる自己決定の余地
  • 文化の豊かさ──異質なものを怖れず、受け止める余地

このような豊かさが、個人にも、地域にも、社会全体にも存在しているか。
それが、“他者を迎える力”の根源となる。


■ 「共生」は、他者のためのものではない

重要なのは、共生社会を構想することが「外国人のため」ではない、という点だ。
むしろそれは、日本人が自らの豊かさを再発見し、取り戻していくプロセスでもある。

他者を受け入れるということは、
実は自分たちの文化・構え・価値観を問い直すことに他ならない。

そして、そうしてこそ初めて、「日本の良さ」とは何かが立ち上がってくる。


✍️ 結語として:

「日本の良さ」とは、
他者を受け入れることができるほど、心と暮らしに余白があるということ。

もしそれを誇るのであれば、
私たちはまず、自らの「豊かさ」を見つめ直さなければならない。

それなくして、「共生」は掛け声にしかならない。
制度でも、法律でもなく──
私たちの在り方そのものが、問い直されている。

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