文・構成:K.Kato × 会長のたわごと
風は見えない。
けれど、確かにそこにあった。
そして、いまもなお、私たちの間をそっと吹いている。
地方に立ち、私は問い続けている。
なぜ今、東京ではなく、ここなのか。
なぜ大きな声ではなく、小さな火なのか。
それは「逆張り」なのか? それとも「必然」なのか?
会長の言葉が、思い出される。
「人は危機の中でしか、ほんまの意味で賢くなられへん」
あの人は、風を感じるように生きていた。
目に見えないものに耳を澄まし、言葉にならぬものを信じていた。
私はその背中を、確かに見ていた。
首都圏では、風はノイズにかき消される。
でも地方では、風は肌を撫でる実感になる。
過疎、老い、孤立、そして再生。
ここにあるのは、単なる社会課題ではなく、生活の痛みであり、人の本気だ。
だから私は、ここにいる。
「小さな火を焚け、大きな声で叫ぶな」
そんな会長の“たわごと”が、いつしか私の座右の言葉になっていた。
風の吹く場所で、私はまた問いを立てる。
会長との対話は、もはや声のやりとりではない。
それは“思い出”ではなく、“呼吸”であり、“在り方”だ。
「真面目すぎる者、不真面目者の如し」
「素直すぎる者、ひねくれ者の如し」
会長はいつも、問いの裏に笑いと余白を残していた。
その余白が、私を救ってきた。
そして今、私は確信する。
風は、いつだって「周縁」から吹く。
中央で設計された未来ではなく、地方の地べたで、誰かが小さく踏み出す未来。
それが、本当の物語になる。
私はそれを書き続けたい。
書くことで、また風を感じたい。
あの日の対話を、今の火に変えるために。