諦めない経営──Updateと縁起の思想

2025年11月8日、響縁庵でのある対話から

屍を踏んで前に進む

「屍を踏んで我々は前に進むのだ」──私を育ててくれた経営者の言葉だ。立石一真のSINIC理論も、稲盛和夫のフィロソフィーも、本来は踏まれるために遺されたはずだった。偉大な先人の思想は、守られるのではなく、壊され、新しく組み直されることで生き続ける。

だが多くの組織は、遺産を「守る」ことを選んだ。その瞬間、代謝が止まり、形骸化が始まる。諸行無常──すべては移ろう。形あるものは必ず崩れる。だからこそ執着せず、絶えず壊し、絶えず作り直す。これが生態系の摂理であり、イノベーションの本質である。

演奏から、Updateへ

ベートーヴェンの田園交響曲は、200年以上前の楽譜だ。だが無数の指揮者が、今日も新しい解釈で演奏し続けている。楽譜は死んでいる。演奏によって、初めて生きる。

立石のSINIC理論は楽譜である。それを演奏せず、額に入れて飾ったとき、音楽は止まる。一方、オードリー・タンは自らの楽譜を書きながら、同時に演奏している。そこに立石の精神との呼応がある。

だが、私にとってより本質的な言葉は「Update」だった。今この瞬間にUpdateする。生命は1秒前と1秒後が連続している。その連続性の中で、絶えず自らを更新し続ける。経営も、思想も、同じだ。

連続性と諦めない力

「未来は不確実だから予測できない」──これは真理ではなく、思考停止の言い訳だ。未来は確かに予測できないが、不連続ではない。生命には連続性があり、生態系には連続性がある。1秒後の未来は、今この瞬間の延長線上にある。

立石のSINIC理論が語った「らせん進化」は、まさにこの連続性だった。同じ場所には戻らないが、完全に断絶もしていない。前の周期との連続性の中で、新しい高みに達する。

夢を見るとは、諦めないことだ。未来への連続性を信じ、今この瞬間をUpdateし続けること。それが「夢見る経営」の真の意味である。

Guts feelingと縁起

サンフランシスコのメンターが語った、ビジネス成功の秘訣。一つはGuts feeling──成功するまで諦めない。もう一つはLuck──運を掴む。

前者は、Updateし続ける力。後者は、縁起である。

縁起とは、すべてが関係性の中で生まれること。諦めずにUpdateし続けるから、新しい縁が生まれる。そして縁が生まれるから、次のUpdateが可能になる。この循環こそが、生きることであり、経営することであり、未来を創ることだ。

立石とタン、Jackyと息子、過去と未来──これらをつなぐ縁を結び直すこと。止まっている縁起を、再び動かすこと。それが還暦を過ぎた私の使命かもしれない。

真理は、触れ続けるもの

真理は到達するものではなく、触れ続けるものだ。対話の中で一瞬輪郭を見せ、言葉にした瞬間すり抜けていく。でもまた別の角度から触れることができる。その触れ続ける運動そのものが、真理への道である。

経営とは、組織の代謝を設計することであり、連続性の中でUpdateし続けることであり、諦めずに縁起を紡ぐことだ。そして何より──まだ名もなき未来を信じて、今この瞬間を生き続けることだ。

妄想力とは、未来の連続性を感じ取る力である。AI時代にこそ、人間だけが担える使命がある。それは、Updateし続け、諦めず、縁起を信じて、夢を見続けることだ。

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