夜明け前の空が、ゆっくりと薄明るくなる。
家の前の坂道に出ると、空気はひんやりとして、
遠くの木々の間から、鳥の囀りが聞こえてくる。
その音を確かめるように一歩を踏み出す。
歩き始めてすぐ、息が深くなる。
呼吸と歩調が重なり、身体の奥が静かに目覚めていく。
白山神社への道を行くと、朝日が差し込み、
石段の上に金色の光が落ちている。
その光を見つめながら、
自然と手を合わせる。
祈るというより、
この世界にもう一度迎え入れられるような感覚。
思えば、ここに住まい、歩き、鍛え、
日々を積み重ねてきたこと自体が「縁」なのだ。
この土地、この空、この空気──
そのすべてが私を生かしている。
かつてシリコンバレーで求めた“Freedom”は、
外に向かう力だった。
けれど今、ここで感じる自由は、
「流れに委ねる」ことから生まれる静けさだ。
抗わず、支配せず、
ただ法(ダルマ)の流れの中に身を置く。
歩くたびに、私はその法の一部になる。
風が頬を撫で、鳥が鳴き、
地面が足裏を受け止める。
すべてがひとつの呼吸をしている。
ここで生きているという事実が、
どこか遠い記憶のように懐かしく、
そして確かな現実として胸に響く。
祈りとは願うことではなく、
生かされていることに気づくこと。
その気づきのなかで、私は今日も歩く。
北野台の朝の光の中で、
法が息づく音を聴きながら。

