朝の対話——制することの静けさ

朝、法句経の一句と向き合う。半年近く続けているこの習慣は、今日という日を迎えられたことへの感謝から始まる。「怒りを捨てよ」「善を軽んずるなかれ」——短い言葉が、その日の自分を映す鏡になる。

句と対話した後は、丘の上の土手を歩く。朝日を浴び、小鳥たちの囀りに耳を傾ける。そして千年以上この土地を守ってきた神社に手を合わせる。このルーチンを始めて1ヶ月ほどになる。

「制することができるようになってきた」——人生の後半に入り、ようやくたどり着いた実感だ。

35歳で起業した頃、私は無知と情熱だけを武器に、がむしゃらに駆け抜けていた。シリコンバレーで「Mattが死んだらどうする?」と問われ、自分のアイデアなのにCEOになれないと告げられた時の悔しさ。あの頃の私に、心を制する力などなかった。

だが、NSさんのキッチンで学んだ。「成功って、使って楽しむことだよ」。その言葉が、長い時間をかけて、ようやく腑に落ちてきた。

法句経は説く。水滴が水瓶を満たすように、善も悪も少しずつ積み重なっていくと。朝の静けさの中で、私は今日一日を精一杯生きようと思う。それが、心豊かに生きるということなのだと、ようやく分かってきた。

来月、NSさんと再会する。今の姿を正直に伝え、対話できれば十分だ。かつて学んだ豊かさを、私なりの形で生きていることを、きっと彼は理解してくれるだろう。

朝日が昇る。小鳥が囀る。今日という日が、また始まる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です