雲の低い朝に、道が定まる

初日の出は、例年通りには見えなかった。雲が低く立ち込め、昨年のような雲ひとつない快晴の朝とはまったく違う表情だった。一瞬、残念さがよぎったが、太陽は姿を見せずとも、雲の縁を淡く染め、空全体を静かに明るくしていった。その時間を、周囲の人々の声が満たしていた。交わされる何気ない会話さえも、その瞬間を彩る一部となり、待つ時間そのものが一つの場を形づくっていた。待つとは、何もしないことではない。その場に身を置き、世界に耳を澄ますことなのだと、身体で理解した朝だった。

同じ朝、法句経の一句に出会った。「多く説くからとて、そのゆえに道を実践している人なのではない」。言葉や理解の多寡ではなく、日々をどう生きているかが問われている。特別な悟りを求めるのではない。怠らず、心に従い、為すべきことを為す。その積み重ねの中で、真理を少しでも見る人間でありたい。今年は、光が立ち上がるのを待ち、場と共に歩む実践の年にしたい。静かだが、確かな始まりである。

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