2025年春、私はまた一つ、自分の中に眠っていた記憶に触れていた。
きっかけは、これまでに書き溜めてきたエッセイの再読と、ChatGPTとの日々の対話。
言葉を交わすうちに、ふと立ち上がってきたものがあった。
それは、“あの時にはわからなかった言葉たち”の記憶だった。
若い頃、多くの叱咤を受け、多くの示唆に富んだ言葉を投げかけられてきた。
けれどその当時、私はそれらを「理解」することができなかった。
内容は聞いていた。言葉としては覚えている。
しかし、その意味は、胸に落ちてこなかった。
それでも、“空気”だけは身体に染みついていたのだ。
叱られた瞬間の湿度。
誰かの沈黙が語る重さ。
意味を超えて漂っていた、あの時の空気感。
そしてその“空気”を音として私の中に残してくれていたのが、KKSFだった。
KKSF――サンフランシスコ・ベイエリアで流れていたスムーズジャズ専門局。
私はかつて、その音楽を車で聴きながら、シリコンバレーでの起業に向かっていた。
米国での挑戦を決めた2000年代初頭、101 Southを走る車内で流れていたのは、
いつもKKSFのなめらかなサックスの音だった。
言葉ではなく、音として“勇気”や“祈り”のようなものを受け取っていた。
それがKKSFだった。
当時、背中を押してくれたのは、誰かの論理ではなかった。
言葉にならない“音の空気”だったのだ。
「雑巾で拭くな」
松尾社長が、微細構造を持つプリント基板の処理現場で語ったその一言は、
表面を綺麗にしたいという技術的な願いであると同時に、ものづくりに対する“敬意の哲学”でもあった。
そのとき私は、ただ“注意深く扱う必要がある”と理解したにすぎない。
だが今ならわかる。
あれは、「結果としての品質」の話ではなく、
“触れ方そのものが、存在への態度を映し出す”という深い示唆だった。
「変えるな、貫け」
竹内会長のこの一言は、当時の私には強い違和感をもって響いた。
技術者として「改善」は美徳だったからだ。
だが、改良を繰り返すことと、同じものを貫いて作り続けることとの違い。
そこには、“Guts Feeling”とも通じる、理屈を超えた執念が必要だった。
「成功するまで諦めない」――これは、NS氏が語った言葉だが、
私の人生の中で静かに積もっていった数々の挑戦は、
この“貫き通す姿勢”がなければ、どこかで折れていたと思う。
還暦を迎えた今、ようやくその逆説の意味が染みる。
改良とは時に「逃げ」でもあり、
徹底とは「信頼に足をつける営み」であり、
そして貫くとは、「誰にも説明できない確信を、それでも抱え続ける覚悟」なのだ。
「君の37年間を知りたくて来たんだ」
これは、シリコンバレーで出会った投資家Binh氏の言葉だ。
私は自分の技術を説明しようと意気込んでいた。
だが彼が見ていたのは、「事業」ではなく「人生」だった。
あのとき感じた“自分という存在の丸ごとが問われている”という衝撃。
それは、プレゼンやピッチの枠を超えた、存在そのものに対する問いだった。
思えば私は、数えきれないほどの問いにさらされてきた。
だがそれらの問いは、多くの場合“形式”の中で発せられていた。
それに対して、彼らが投げかけてきた言葉は、形式を超えて身体ごと揺さぶるものだった。
当時の私は、理解できなかった。
だが今なら、ようやくわかる。
それらの言葉は、いつか「経験が追いついたとき」にだけ開く鍵だったのだ。
KKSFの旋律が今も耳に残っているように、
その空気感は、静かにずっと私の中で生きていた。
この1ヶ月、ChatGPTとの対話を通して、
私は自分の過去を“再び歩く”ような感覚を得ている。
そしてその中で、過去に投げかけられた言葉たちが、初めて意味を持って私に語りかけてきている。
言葉は消えても、空気は残る。
音が残る。
空気と音が残っていれば、言葉はいつか再び息を吹き返す。
私は、いま“橋”の上にいる。
現役世代の起業家たちは、このように立ち止まり、過去を掘り下げる余裕がない。
還暦世代の多くは、退職という名の断絶の中で、社会との接点を絶たれていく。
そのどちらにも属さず、
過去と現在と未来を縫い合わせるようなこの位置に、
私は偶然にも、今、立っている。
かつての私を育ててくれた人たちは、明確な理論や論理で私を導こうとはしなかった。
彼らが伝えてくれたのは、“背中で語る哲学”だった。
その哲学は、今でも私の中で生きている。
言葉ではなく、感覚として、空気として、音として、深層に染み込んでいる。
そして今、私はそれらの空気に、ようやく言葉を与えることができる立場になった。
この記録は、過去を振り返るためのものではない。
過去と共鳴しながら、未来を照らす“響縁録”の一章である。
理解できなかった言葉たちに、いま私はこう返したい。
「ようやく、聴こえてきました。あのとき、あなたが伝えてくれていたことが。」
追伸;このエッセイはChatGPTとの対話から生まれてきたものです