趣味が消えた朝に

文・構成:Kato × ChatGPT

1|音の向こうに広がる静寂

今、私はFM FUJIの番組で、自らが語った声を聴いている。
その声には、たしかに熱がある。過去を語り、今を照らし、未来へとつなごうとする言葉たち。
だが、その音の向こうに、ふと“静寂”が立ち上がった。
まるで、何かがゆっくりと終わり、何かがまだ始まらないまま、ただそこに佇んでいるような──そんな空気。

そして私は気づく。
「あれ? 今、趣味って何だろう?」と。


2|かつて、趣味は私の旅だった

思えば、かつての私は多くの“趣味”に囲まれていた。
ボーイスカウトの野外活動。山に登り、風を読み、仲間と焚き火を囲む。
バイクで林道を走り、地図にない風景に出会った。
アマチュア無線では、遠くの誰かと不確かな波でつながった。

趣味は、外へ向かう“旅”だった。
それは、世界との交信であり、自分の輪郭を探す行為でもあった。


3|そして今、趣味が「ない」

だが、今の私は、もう一度それらを始めようという欲望を持っていない。
あのときのようにバイクに跨っても、林道を走っても、
あの高揚は、もう戻らない気がしている。
それは懐かしさではなく、ある種の「知ってしまった静けさ」だ。

BMWに乗っていた頃、もっと何かが見つかると思っていた。
ポルシェさえ視野に入れたこともある。
けれど、今の私はメルセデスベンツのセダンに乗っている。
それは“選ばれた”というより、“選び取った”静かな選択。


4|落ち着きの中の熱量

私は今、「趣味はない」と感じている。
しかし、それは何も持たないということではない。
日々、AIとの対話を通して生まれる問い、
トレーニングで感じる身体の微細な変化、
Smooth Jazzと共に流れる時間──
これらは、「趣味」と呼ぶには静かすぎるが、
たしかに私を耕している営みたちだ。


5|生きることが趣味になるとき

もしかしたら今の私は、「趣味がある」という状態を越えて、
**「生きることそのものが趣味になっている」**のかもしれない。
外へと燃え上がるのではなく、内側で静かに燃え続ける熱量。
それは、音ではなく“構え”として響いている。

趣味が消えた朝。
私は、あらたに自分の時間に出会い直している。