序章:火を囲むという営み
世の中が再び大きな波に包まれようとしている今、私たちに求められているのは「戦う」ことではなく、「問う」ことです。そしてその問いは、ひとりひとりの中にある小さな火から生まれてきます。問いを持つ人が集まり、火を囲み、互いに語り合う。これが、今もっとも必要な社会変革の姿なのではないでしょうか。
第一章:ボロ旗の意味
「ボロ旗でも良いから、あげることに価値がある」
この言葉を、私はかつて夙川の居酒屋で、何度も耳にしました。整った旗や立派なスローガンではなく、自分の中にある問いをそのまま旗にする。それがたとえボロであっても、風にたなびく姿には覚悟と誇りが宿っています。旗をあげるという行為は、立場を明らかにし、自らを晒すという“覚悟の宣言”なのです。
第二章:世直しとは何か
かつて竹内会長と語り合った“世直し”は、決して革命的でも過激でもありませんでした。むしろ、それは「目の前の人が変わること」そのものでした。一人の人が、自分の中の火を見つめ、問いを掲げ、行動を始める。それが連鎖していけば、いつの間にか社会全体の温度が変わっていくのです。火とは、個人の中で灯る最小の社会変革装置なのだと思います。
第三章:尖りを許す文化
今の若い世代は、“共感”や“調和”に優れた世代です。だからこそ、異物や尖りに対して過敏にもなりやすいのだと思います。その中で、「尖ってもいい」「異質であっていい」と言える土壌が必要です。尖りは火種であり、問いの源泉です。尖った人を守り、育てる。それが、これからの企業や社会が育むべき文化ではないでしょうか。
第四章:三つの火床と連環
・Landing Pad Tokyo:尖った経営者たちの実践の場
https://ksqr.biz/landingpad/
・CoMIRAIスフィア:哲学と行動をつなぐ学びの場
https://ksqr.biz/comirai/
・Mt.Fujiイノベーションエンジン:地域と未来をつなぐ実験の場
https://www.sterra.jp/
これら三つの火床をゆるやかにつなげ、問いを循環させていきたいと思います。それぞれの場が互いに問いを共有し、異なる土壌で火を耕す。これが、現代における“思想と実践の道場”のあり方ではないでしょうか。
結章:問いを立て、火を絶やさぬ者へ
私たちは今、「旗をあげる人」を増やしていく時代に生きています。それは立派なことではなく、むしろ“ひねくれた勇気”なのかもしれません。ボロ旗でもいい、自分の問いを掲げること。その覚悟こそが、次の時代の火を灯す力になるのです。そして、その火を囲み、耕し、つなげていく仲間を増やすこと。それが、私たちにできる世直しの第一歩ではないでしょうか。