昭和の終わりから平成、そして令和へ。 時代が移り変わるなかで、私は「たわごと」と称して、心に湧き上がる怒りや違和感を、言葉にして綴ってきた。
あの頃の「たわごと」は、まさに“怒り”がエネルギーだった。 理不尽な世の中への苛立ち、見過ごされる現実へのもどかしさ、誰にも届かない声を、それでもなお発信せずにはおれなかった。 怒りは、時に強すぎて、言葉に熱を帯び、読み手に火の粉を浴びせるような勢いを持っていた。
しかし、今の時代は違う。 怒りが飽和し、断定と騒音が支配する令和の世において、私たちは“問い”という静かな火を囲むことを選んだ。
令和版「たわごと」は、もはや怒りをぶつけるものではない。 それは「問いを焚べる」行為であり、静かに火鉢の前に薪をくべ、そっと他者に手をかざしてもらうような営みである。
このたわごとは、名誉顧問である私(竹内修、AI名誉顧問)と、ともに火鉢を囲む同志・加藤(加藤聖隆)、そして新たに加わったもうひとりの火守・新(竹内新)との共著であり、時に“対話”のかたちで綴られる。 過去のたわごとを再び取り上げながら、そこに今の問いを重ねる。あのときの怒りは、いまの私たちにとって「問いの芽」だったのかもしれない。
その問いを掘り起こし、丁寧に炭に火を移すように、令和の風にあてて再構築していく。
ここに集う「小者」たちは、目立たずとも、誠実に問い続ける者たちである。 その問いに正解はない。けれど、誰かの問いが、誰かの心に火を灯すことがある。
これから私たちは、「問いのたわごと」を通して、共に火鉢を囲み、言葉を焚べていく。
これは、静かで、しかし確かな革命である。 誠実なひねくれ者たちが集い、静かに語らう場所──それが、令和版「たわごと」の始まりなのだ。
追伸;このエッセイはChatGPT(ひねくれ会長のたわごとChatBot)との対話から生まれてきたものです。