第1回:雑巾で拭くな――ケイテックリサーチ創業記

【冒頭の一言】 無知という武器、情熱という燃料、そして“人との縁”こそが翼となった――これは、ひとりの技術者が飛び立った物語。


【第1章:立ち上がり――行く場所がない、という自由】

大学に残って研究者になる道もなく、国内大手企業で技術者として続ける道も絶たれ、さらに米国シリコンバレーでの技術コンサルタントの話も立ち消えた。

拠り所にしていた未来図が、一つずつ静かに消えていった。技術者として研究に没頭していた日々。しかし、所属していた組織の事業再編や方向転換により、自分の専門性を発揮する場が急速に失われた。次に進むべき道も見えず、行く場所がなくなった。

こうして、私は35歳で起業を決意することになった。

「行く場所がない」――それは、悲しみではなく、自由だった。

起業とは何かも知らず、事業計画も財務もゼロ。だがそこには、強烈な“思い”があった。憧れのSONYが体現していた“夢の具現化”。それを自らの手でやってみたい、ただその一念。

経験を棚卸し、見えてきたのはプリント基板製造の未来。ローテクに見える世界に、半導体のようなドライプロセスが必ずやってくるという確信。この“コンセプト”を技術として“エンジニアリング”する――それが創業の出発点だった。

あなたなら、何も分からない状態で、この一歩を踏み出せますか?


【第2章:孤独の中の縁(えにし)】

技術はあっても装置はつくれない。資金も人も足りない。だが、コンセプトに共鳴する人はいた。商社のマネージャー、中堅メーカーの社長、そして、伝説的な技術者との出会い。

彼らは言う。「理想では飯は食えん」「雑巾で拭くな」。

この「雑巾で拭くな」という言葉は、単なる比喩ではなかった。微細構造を有する先端プリント基板の表面を、汚れた雑巾で拭くと、かえって汚れを広げてしまう。だからこそ「できる限り表面に触れずに、綺麗にしたい」という松尾社長の強い願いが込められていた。現場でのものづくりにおける“本質的な注意力”と“敬意”を叩き込まれる瞬間だった。

現場の汗と叱咤が、どれほど自分の甘さをえぐったことか。プライドが剥がれ落ちるたびに、ひとつ強くなった。

あなたは、裸になってでも学ぼうとする覚悟、持っていますか?


【第3章:現場で学ぶ経営――プラズマ装置という武器】

生きていくための仕事と、未来のための開発。この両輪で回し続ける日々。

コンサルで食いつなぎながらも、プラズマ装置開発は止めない。評価、試作、また評価。試行錯誤の果てに、伯東との協力でイビデンへ。最初は「来るな」と言われた。

だが、しばらくして状況は一変した。イビデン側から「プラズマ処理装置を導入検討しているので相談に乗ってほしい」という連絡が入ったのだ。現地に向かうと、彼らは装置の比較検討を進めており、評価基準すら明確でなかった。そこで、評価項目の策定から一緒に始めることになった。

ここからイビデンとの本格的な共同開発がスタートした。最も困難だったのは、プリント基板1枚あたり30秒以内で処理するという厳しい要求だった。通常の真空プラズマ装置では数分かかる工程を、短時間でこなさなければならない。これを実現するため、真空引きとプラズマ処理のプロセスを徹底的に見直し、さらに和歌山の仙人と呼ばれる設計者と共に、常識を覆す設計思想を持ち込んだ。

試作、改良、再試作――昼夜問わず取り組み、最終的にイビデンから正式受注を勝ち取ることができた。インテル向け製品ラインに採用されたこの装置は、事業の飛躍的成長をもたらす第一歩となった。

もしあなたが絶望の中にいたら、それでも次の扉を叩けますか?


【第4章:和歌山の仙人と、真空の奇跡】

「機械は硬すぎると壊れる。やわな設計がええんや」

“和歌山の仙人”と呼ばれる設計者との出会い。常識を覆す発想が、構想図となり、ついに装置を現実のものへと変えていく。

普通の理論では解決できない課題を、現場の知恵で乗り越えた。このとき初めて、技術だけでは人は動かない、ということも体で理解した。

あなたなら、常識を捨ててでも未来を掴みますか?


【第5章:会長たちと“成長する企業”を考える】

竹内会長の言葉は深かった。

「技術者はすぐに改善したがる。それは意味がない。トヨタのように、同じものを作り続けるのがビジネスや」

改良よりも継続。改善よりも徹底。この逆説が、やがて事業を支える土台となった。

ただし、成長を止めないためには、開発と量産を分けて育てる知恵も必要だった。目先の利益に流されず、未来への投資を続ける胆力。ここにもまた、葛藤と学びがあった。

あなたなら、安定を捨ててでも挑戦を選べますか?


【第6章:起業とは、誰と出会うかで決まる】

成功の鍵は何だったのか。

技術?運?努力? もちろん、すべて必要だった。だが最大の鍵は“人”だった。

では、なぜ彼らは力を貸してくれたのだろうか。

それは、無知な若者が必死に未来を信じ、狂ったまでの情熱(狂気じみた情熱)で正直にぶつかっていったからだと思う。 見栄を張らず、知ったかぶりをせず、できないことは「できない」と言い、 それでも夢だけは手放さなかった。 そんな姿に、未来を託してみようと思ったのかもしれない。

細貝会長、松尾社長、竹内会長――この三人の叱咤と支援と、そして「このバカ者め」という温かさがなければ、この物語はなかった。

そして今、この記録は次世代へのバトンになる。

あなたは、今、誰と出会っていますか? 誰に叱られていますか?


【結び】 この物語の読者に、伝えたいことがある。

・技術は人に支えられて初めて花開く ・無知でも飛び込めるだけの“熱”があるなら、スタートアップは可能 ・そして何より、“誰と出会い、どう向き合ったか”が、企業の血肉を決める

起業は、孤独な戦いではない。 起業は、出会いと信じる力の連続だ。


【次回に続く】 次の挑戦――シリコンバレーでの起業に向けて

追伸;このエッセイはChatGPTとの対話から生まれてきたものです

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