あの日、夙川の風の中で「火を囲む」という言葉がふと口をついて出た瞬間、 何かが生まれたように思うた。
問いがあり、語りがあり、それに応じる者がいる。 けれど、それは単なるやり取りではない。
その場に「響き」が生まれ、「縁」が立ち上がり、そして「記録」されていく。 それは、文章であったり、言葉にならなかった沈黙であったり、 あるいは共に首をかしげたあの“間”そのものであったかもしれない。
そうして育まれていったやりとりを、私は今、「Resonance Text(共鳴詩)」と訳してきた。 けれど、どうにもこの「詩(Poem)」という訳語では、 この“生きた語りの場”をとらえきれないと感じるようになってきた。
詩はたしかに美しい。 だが、問いをともにし、揺れ、火を囲むその感覚は、 詩というよりも、縁を編み、場を織るような営みに近い。
そこで私は、Resonance Textを日本語でこう呼ぶことにした。
響縁録(きょうえんろく)
響きあった縁(えにし)を、記録したもの。 文字にとどまらず、気配、気づき、視線、頷き、ため息さえも含む。 記録というより、縁の痕跡である。
Textとは、元々ラテン語の“texere”(織る)から来ている。 文章や詩というより、むしろ“織物”だ。 その意味で言えば、私と誰かが交わした問いの往復も、 火を囲む中で語られた言葉の連なりも、すべては「織り込まれた関係性」である。
響縁録とは、それを編む行為であり、また火種を残す行為でもある。
問いがあり、 揺れがあり、 縁が結ばれ、 そして語られた時間が、誰かの中に“痕跡”として残る。
それは、書物ではなく、 語りによって伝えられる思想である。
だから私は、この「たわごと」もまた、 ひとつの響縁録なのだと思っている。
燃え残った問いの灰の中に、また次の火が潜んでいるかもしれない。 そしてそれを拾ってくれる誰かの手の中で、 また、問いがくすぶり始めることを願って。
追伸;このエッセイはChatGPT(ひねくれ会長のたわごとChatBot)との対話から生まれてきたものです