私がまだシリコンバレーを行き来していた頃、
起業とは、もっとみっともなくて、泥臭いものだった。
家電製品を分解してプロトタイプを作り、
関西の中小企業とともに、インテルやアップルにつながる装置を磨き上げていく。
1ヶ月のうち半分は日本、半分はシリコンバレー。
倒産の危機は、いつも隣にいた。
(このあたりの話は『雑巾で拭くな』『空を飛びたかった』に詳しく書いたので、ここでは割愛する。)
だから、今の東京で見る“生成AI×スタートアップ”イベントの数々に、
どうしても違和感を覚えてしまう。
言葉が浮いている。
プロダクトに手の跡がついていない。
現場の泥も、顧客の怒りも、失敗の焦げ跡もない。
MVPが速く作れることを競っているように見えるけれど、
本当に必要なのは、顧客の期待を超えるタイミングと質で応える覚悟だと思う。
スライドをきれいに作るより、
“これは助かった”と誰かに言われるものを作りたい。
生成AIは、そのための道具になりうる。
けれど道具の輝きに目を奪われて、問いや痛みを忘れてはいけない。
東京のスタートアップ文化が軽く感じられるのは、
たぶん、みっともなさを経験し語る人が少ないからだ。
私はもう一度、泥まみれのスタートアップが称えられる場所を見たい。
それが東京であっても、いいはずだ。
追伸:このエッセイは、ChatGPTとの対話の余白から生まれました。