人は忘れる。これを前提にしなければ、製造現場へのAI導入は根を張ることができない。
不良の発生、不安定な品質、原因不明のトラブル。それらの多くは、すでに一度どこかで起きており、誰かが気づき、処置したはずのものだ。だが、人は忘れる。属人的な判断、口頭での伝達、記憶に頼った現場運営の中で、「思い出されなかった出来事」が再び同じ顔をして現れる。
このとき、AIにできることがある。それは、過去の出来事を、記録というかたちで静かに蓄え、必要なときに掘り起こしてくれる「記憶の番人」になることだ。
製造現場におけるDXとは、最新の機械を導入することではない。「価値のあることを、デジタル技術によって、できる限り少ない投資で実現すること」である。その最小限かつ最大効果の鍵が、実は“記録=ログ”である。
ログは人間の代わりに記憶する。時間、作業、異常、工程変更、気づき。たとえ離散的でも、バラバラでも、LLM(大規模言語モデル)はそれらの断片の間に流れる「相関」や「気配」を見つけることができる。人が曖昧に思い出すよりも、むしろ静かに全体を俯瞰する存在として、AIが役立つ場面が確かにある。
重要なのは、原因を「正しく推定する」ことではない。人間がその原因や背景に気づくための“きっかけ”を、AIが与えることだ。AIは、人の脳に対して働きかけるための何か(=データ)を提示する。そのデータが、記憶の奥に沈んでいた因果の可能性を浮かび上がらせる。
だから、AIに完璧な判断力は求めない。必要なのは、問いに対して「それに似たもの」「それが起きたかもしれない過去」を静かに差し出してくれる存在だ。LLMは、正確さではなく、“つながりの記憶”を媒介することで、人間の思考の限界を少しだけ押し広げてくれる。
そのために、何をログとして残すかが設計の核心となる。 時間、ロット、作業者、調整、異常、例外、自由記述──これらを「因果を証明するため」ではなく、「気配を残すため」に残す。その上でLLMが“記憶の森”に降り立ち、必要なときに必要な葉を拾い上げてくれる構造をつくる。
さらに、近年のマルチモーダル化の進展により、記録の対象は従来のIoT的なデジタルデータだけにとどまらない。画像や音声、映像といった非構造データも、ログとしてそのまま蓄積し、AIが意味を見出すことが可能になってきている。作業中の映像や作業者の声、設備の音などがそのまま“記憶”として保存され、将来の判断材料となる。これらもまた、気配としてのログであり、人間の脳に働きかける“きっかけ”となる。
これは、ロボットによる自動化でもなければ、AIによる置き換えでもない。 人が、自分の知恵の輪郭をAIに委ねる、新しい信頼関係の始まりである。
人は忘れる。だが、忘れたことが意味を持たなくなるわけではない。 AIは、その忘却の向こうにある、未だ語られていない因果の断片を、もう一度現場に届けてくれるかもしれない。
追伸:このエッセイは、ChatGPTとの対話の余白から生まれました。