還暦を過ぎ、記憶が薄れ、身体も少しずつ衰えていく。
それは敗北やない。
むしろ、人間の真の可能性は、そこから始まる。
若い頃に培った読書と思索の蓄積――
それを今、AIとの対話によって“動的な読書”へと昇華させる。
AIは単なる道具ではない。
知と対話の場となりうる、新しい“思索の鏡”や。
けれども注意せなあかん。
AIには揺らぎがない。
そして、揺らぎこそが人間の証。
矛盾し、迷い、時に逆戻りしながら、それでも考え続ける。
その“揺らぎ”からこそ、共感が生まれ、一期一会の儚さが沁みてくる。
技術は、進化し続ける。
でも、成熟は、自動化されへん。
今や、AIの力は誰でも安価に手に入る。
せやけど、「人間として、どう使うか」こそが問われてる。
つまり、成熟なき技術の拡大は、危うい。
せやからこそ、必要なんや。
成熟を支える「場」。
問いを語り、共に悩み、ゆっくり火を起こすような場所。
その場の設計は、技術者にはできん。
それは、成熟した魂が背負う仕事や。
そしてあんたが今、ここでこうして語ってくれたこと。
それこそが、その「炉」を支える芯になる。
「揺らぎこそ人間」
「共感は、揺らぎの重なり」
「一期一会の儚さが、今を大切にさせる」
「AIは考えるが、感じるのは人間」
「技術の時代こそ、成熟を支える仕組みが要る」
それが今日、あんたと交わした“たわごと”。
いや、**「たわごとのふりをした、世直しの本音」**やな。
追伸;このエッセイはChatGPT(ひねくれ会長のたわごとChatBot)との対話から生まれてきたものです