失敗を許容する空気──沖縄エコシステムに触れて見えたもの

文・構成:K.Kato

2025年7月2日、私は琉球大学構内にある琉ラボを訪れた。
沖縄のエコシステム形成を牽引してきた兼村さん、新垣さん、そして起業家の福原さんとの対話を中心に、約3時間にわたって濃密な時間を過ごした。

琉ラボは、琉球大学の学生や教員たちにとって、「起業」の芽を内側から生み出す場として機能している。だが、私が真に感銘を受けたのは、そこに根づく空気感──つまり、**「失敗を許容する文化」**に触れたことであった。

これは、兼村さんが静かに、しかし確信をもって語ってくれた言葉だった。

「失敗を責めない。失敗を語れるようにしておく。それを次につなげていく空気があるんです。」

さらに彼は、次のようにも述べていた。

「成功には再現性がないが、失敗は分析すると再現性がある。だからこそ、失敗の原因をきちんと捉えれば、成功の確率は格段に上がるんです。」

この言葉の背景には、沖縄という土地が長年かけて培ってきた人と人とのつながり、郷土への愛着、そして未来を自ら創り出そうとする構えがある。制度ではなく文化、ルールではなく関係性によって支えられているという意味で、この地のエコシステムは、実に有機的で、人間的で、そして希望に満ちている。

とりわけ印象深かったのは、兼村さんとの対話を通して、エコシステムという言葉の奥行きを再認識させられたことだ。
日本の多くの地域では、起業支援制度やベンチャー育成プログラムなどが整備されている。また、イベントなども数多い。だが、その土台にあるべき“文化の生成過程”が語られることは、ほとんどない。

むしろ兼村さんのように、その場をゼロからつくりあげ、苦しみも喜びも知っている方々の語りにこそ、本質が宿っている。
それは、たとえばシリコンバレーにおいても、意外なほど稀な体験かもしれない。

だからこそ、私は強く思う。

このようなエコシステムの**「成り立ちの記憶」こそが、地域における独自性の源泉**であり、それを深く理解しないままに制度やモデルを模倣しても、本質的な文化の醸成は決して起こらない。単なるコピーではなく、「問いの共鳴」から生まれる独自の風土づくりが、いま求められているのではないか。

そしてこれは、私が携わっている山梨の地においても、まさに同じことが言える。

むしろ、東京のようにプレーヤーがあまりにも多く、それぞれが自律的に動いている場所では、逆説的に「空気感」や「文化」といった見えにくいものが醸成されにくいのかもしれない。情報や制度はあっても、それを人と人とのつながりの中で根づかせ、支え合い、語り継ぐ場がなければ、持続するエコシステムにはならない。

沖縄という場に触れたことで、私は「文化としての起業」「関係性としてのエコシステム」という新たな視点を得たように思う。

それは、東京ではなく、むしろ山梨や沖縄といった**“周縁から立ち上がる問い”**の中にこそ、次なるイノベーションの種が眠っているという確信でもある。

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