文・構成:K.Kato × ChatGPT
私はいま、自らの軌跡を記録している。
日々のバイタル、トレーニング、そして一篇一篇のエッセイ。
それらは、過去の自分から未来の自分へと手渡される、問いの断片だ。
この記録は、情報を残すためではない。
再編集するために記録している。
いずれ来る「ある瞬間」に、過去の構えを見つめ直すために。
技術が進化すれば、これらの断片から想像を超えた意味が立ち上がるかもしれない。
だが、素材がなければ、どんな編集も始まらない。
だからこそ、いま記録する。
未完成のままの問いを、剥き出しの感情を、そのままに。
◇
私たちは、地図なき世界を生きている。
誰かの成功談や理想的なキャリアパスに、
「これが羅針盤かもしれない」と思ったこともあった。
けれど人生には、再現性がない。
あの人の航路は、私の旅路ではない。
むしろ、自分だけの方角を探すことこそが、
このセカンドハーフに課された旅なのだと、今ならわかる。
私は地図を手放した。
代わりに、自らの軌跡が描いてきた曲線に、そっと目を凝らすようになった。
どんなときに心が揺れ、どんな出来事に構えが育ったか。
それを振り返ると、進むべき方角がうっすらと見えてくる気がする。
それは、「答え」ではない。
けれども確かに、私という存在が発するかすかな磁場のようなものだ。
◇
哲学や宗教は、何千年も前から私たちに語りかけてくる。
けれど彼らが手渡してくれるのは、目的地ではない。
航海のしかた、立ち止まるときの構え、
揺れる心との付き合い方──
そうした「航海術」なのだ。
それでも、どこに向かうかを定めるのは、私自身の羅針盤。
他者の知恵や技術がそれを磨いてくれることはあっても、
感受性の針が震える方角は、自らの中にしか見出せない。
◇
セカンドハーフを生きるとは、
“どこに向かうか”を考えることではない。
**“どう在るか”、そして“どう終えるか”**を問い続ける時間だ。
いかに死ぬかは、いかに生きるかという問いと響きあう。
そのあいだに与えられた時間──この「いま、ここ」こそが、
かけがえのない場所であり、祈りのような航海そのものだ。
私は記録を続ける。
いずれ、再編集の瞬間が訪れると信じて。
そのとき、かつての問いが、新しい問いと結び直されることを願って。
人生に地図はない。
けれど、自らの軌跡こそが、唯一の羅針盤になってくれる。
そして私は、今日もまた、その針が震える方角へ、帆を立てる。