文・構成:ひねくれ会長 × K.Kato
畑に立つ彼は、風の具合を見てこう言った。
「今年の梅雨は5月に始まったんや。7月上旬の今は、もう8月の空気やで」
カレンダーには書かれていないけれど、土の声と空の匂いがそれを教えてくれる。
このひと言に、私たちは何を感じるだろう。
ただの天気の話ではない。そこには“自然との対話”という、何よりも深い時間の密度が宿っている。
今、社会は「構造」で説明できない何かに揺れている。
若者と年配者、技術と感性、日本と他国──こうした対比は、一見わかりやすい。だがその瞬間、複雑な揺らぎは切り捨てられ、「ラベル」だけが残ってしまう。
だからこそ、混沌を混沌として捉える構えが必要になる。
全体像を掴もうとするのではなく、
ただ一つひとつの“一対一の出会い”を大切にする。
その共感と共鳴のかけらたちが、やがてうねりになる。
それは、まるで畑の土を耕す営みに似ている。
代々の記憶を宿した地元の土には、その土地にしかない味があるという。
借り物の土では出せない、風土が育てた“その場の味”。
それと同じように、人の対話にも“その場でしか生まれへん味”がある。
情報ではなく、構造でもなく、関係の記憶。
それが土になり、やがて種を育て、場が生き始める。
急がなくていい。
ラベルに頼らなくていい。
ただ、その瞬間にちゃんと耳を澄まし、問いを置くこと。
豊かさとは、「時間の粒の密度」や。
そして、構えとは、「その粒を大切にする手つき」のことや。
土を耕すように、対話を耕す。
それが今、私たちにできるいちばんの創発やと思う。