文・構成: K.Kato x ChatGPT
昨日の「コラボ神奈川」に参加して感じたのは、主催者が語ってきた「支援者のための場」という設計意図が、確かに形になっているということだった。県庁の旧議場を舞台に、官民の支援者が集まり、起業家たちの60秒ピッチを聞き、名刺を交わし合う──その光景には確かに「支援者同士をつなぐ」力があった。
しかし同時に、やはり主役は起業家だった。30組近い短いピッチは圧巻で、聞いているだけで「この人と話したい」と自然に心が動く。その後の交流会へと続く導線は見事だが、大人数のために狙った相手を捕まえるのが難しいという課題も残る。支援のための場であっても、結局は起業家が舞台に立つことで全体が活性化する。この逆説的な構造が、今回のイベントの本質だったのかもしれない。
ただ一方で、ふと心に浮かんだのは「支援の仕方によっては、起業家を弱くしてしまうのではないか」という疑念である。過保護な支援は、起業家に必要な「野生」を育てないまま世に送り出してしまう。その結果、資金や人脈は揃っていても、予期しない逆風に耐えられずに倒れてしまう企業が生まれる危険がある。
今朝、NHKラジオで成田奈緒子先生が語っていた「脳の成長の臨界期(5歳まで)」の話と重なった。子どもが自律を獲得するためには、適度な環境と適度な試練が必要だという。スタートアップも同じではないか。創業初期にこそ「野生」を育む環境が求められる。それは理屈や制度ではなく、生命が自らを存続させようとする根源的な力を呼び覚ます場である。
野生とは、生き残るための力である。計画や理屈の前に、身体の奥から立ち上がる「生きようとする衝動」だ。支援者の役割は、守ることではなく、この野生が芽吹く環境を設計することだろう。補助輪をつけるだけではなく、外す瞬間を見極め、転んでも起き上がれる場を共に作ること。
そして考えたのは、子どもを育てるのと同じように、スタートアップにも母性と父性の両面からの支援が必要だということだ。母性は安心の基盤を与え、失敗してもやり直せる「安全基地」をつくる。一方で父性は試練を与え、境界を示し、自立を促す。母性だけでは依存を招き、父性だけでは心を折る。両者のバランスの中でこそ、本来の野生が鍛えられていく。
さらに言えば、支援者自身も母性的なタイプと父性的なタイプに分かれるのではないだろうか。起業家の感情を受け止め、場を用意する「母性型の支援者」。現実の厳しさを突きつけ、挑戦を促す「父性型の支援者」。両者が共に存在し、補い合うことでエコシステム全体が厚みを増す。つまり、支援者の多様性そのものがスタートアップの成長を支える生態系になるのだ。
「支援するとは何か」。それは与えることでも、守ることでもなく、起業家の中に眠る野生を引き出すこと。そして、そのためには母性と父性、両方のまなざしが必要である。今回のイベントを通じて、その問いが改めて自分の中に深く刻まれた。