響縁庵という生き方

文・構成:K.Kato x Claude

プロローグ

「私は壁と話していても何も起きない。でも加藤さんとこのように対話していると、私の頭が整理できる」

20年ほど前、サンフランシスコのメンターが私に語った言葉である。彼は経験豊富な投資家であり、多くの起業家を指導してきた人物だった。私が「毎月お支払いをした方が良いでしょうか」と尋ねた時、彼は「必要ない」と答え、そしてこの言葉を続けた。

その時、私は対話というものの本質に触れた気がした。一方が教え、もう一方が学ぶという単純な構造ではない。お互いの存在が相手の思考を活性化させ、新しい理解を生み出す。それは技法でも手法でもない、もっと根源的な人間的現象だった。

彼のメールの署名には、名前しか書かれていない。所属もタイトルも記されていない。「タイトルはたくさんあるけれど、基本的に書かない」と彼は言う。私もそれに倣い、メールの署名は名前だけにしている。

セカンドハーフという質的転換

人生にはファーストハーフとセカンドハーフがある。ファーストハーフは「戦う」「勝ち取る」「築き上げる」時代だった。欲望や執念もエネルギーとなり、前進の原動力となった。目の前のことに没頭し、成果や評価で存在を確かめていた。

しかしセカンドハーフは、その延長線上にはない。質的な転換が起こる。「呼応する」「支える」「残す」という新しい方向性が生まれる。同じ「熱量」であっても、それは「戦う熱」ではなく「熟す熱」となる。執着を超える方向と、未来に響きを託す方向の両方が現れ、その往還の中に成熟の静けさが宿る。

毎日トレーニングに通い、毎朝法句経との出会いを生み出し、様々な場で対話を重ねる。これらすべてが心身を研ぎ澄ます営みとなっている。そうして生きていると、瞬間瞬間ごとに良き機会が与えられているのを感じる。

identifyできない存在

周りから見ると、私は何をしている人なのか分からないらしい。妻からもそう言われる。

起業家でもない、投資家でもない、コンサルタントでもない。トレーニングをして、法句経を読んで、様々な場で対話をして…「で、結局何が本業なの?」と思われるのだろう。

従来のカテゴリーに収まらない存在。職業や肩書きで他者を理解しようとする人たちには、捉えどころがない人間に映る。サンフランシスコのメンターも同じだった。彼もidentifyできない存在だが、全く気にしていない。その自由さ、その境地が、私にとっての一つの指標となっている。

夫婦のセカンドハーフ

妻は時折、かつての上長の活躍に嫉妬すると言う。特に、我々の仲人でもある方が今話題の企業の社長として脚光を浴びている姿を見ると、複雑な感情を抱く。「あの時の可能性」への想いが湧き上がるのだろう。

しかし私は、妻がこの生き方を受け入れてくれた時に、きっと彼女にとってもセカンドハーフが始まるのだと信じている。社会的な成功への執着から解放された時、彼女もまた新しい豊かさを発見するだろう。

来年早々、今住んでいる家を壊し、夏に向けて新居を同じ場所に立てる。同じ場所に建て直すことで、基盤は変えずに生き方の質を根本から変えていく。新しい家では、手仕事を共に重ねる時間が増えるだろう。

座間で四代にわたり米作りを続ける友人の米と、地元の麹屋の米麹で甘酒を作る。温度を見極め、水加減を調整し、発酵を待つ。ヨーグルトも自分で仕込む。これらの手仕事を妻と分かち合いながら、急がない豊かさを共に味わっていければと思う。

時間はかかるが、豊かで優雅な時間を人生の旅路において過ごしていければ。

響縁庵というメンタリング

今度の週末、イノベーション・キャンプのメンターとして参加する。しかし、私にとってこれは「メンタリング」という既存の枠組みを超えた何かだ。

若者たちのStruggleに敬意を払い、答えではなく問いを手渡し、余白をつくり、未来への呼応を示す。それは決して「教える」ことではない。むしろ「共に歩む」ことであり、挑戦者に対する深い敬意に支えられている。

利他的に見えて、実は自らのための場でもある。若者たちとの対話を通じて、私自身の過去の体験にも新しい意味が与えられる。シリコンバレーでの「狂気じみた」挑戦も、今の若者たちに何かを手渡すことで、私の人生の物語の中で新しい位置づけを得る。

これは偽善でも何でもなく、人間的な営みの本質だと思う。純粋な利他などという幻想を持たず、しかし利己的でもない。その微妙なバランスの中にこそ、真の対話が生まれる。

私はこのような対話の場を「響縁庵」と名付けている。響き合い、縁を結ぶ、静謐な空間。大きな建物や派手な看板は必要ない。ただそこに、響き合える縁を大切にする心があればいい。

エピローグ

メンタリングもコーチングも、言葉として限界がある。私が実践しようとしているのは、既存のカテゴリーを超えた何か—「往還する心での同伴」とでも呼ぶべきものかもしれない。

セカンドハーフの人間がファーストハーフの人間と出会う時に生まれる、名前のない何かを大切にしたい。それは手法ではなく、存在の在り方そのものだ。

響縁庵は、特定の場所にあるのではない。対話が生まれるところすべてに現れる。イノキャンでも、新しい家での夫婦の時間でも、FUN +TECH LABOでの昼食会でも、VentureCafe Yokohamaでも。

響き合い、縁を結び、共に歩む。それがセカンドハーフの生き方なのだと、私は思っている。

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