冒険の次にあるもの──法句経第152偈から考えるフェーズ移行

今朝、法句経の第152偈と出会った。

学ぶことの少ない人は、牛のように老いる。
かれの肉は増えるが、かれの知慧は増えない。

この言葉は、私の心の奥にある何かを強く揺さぶった。
学びとは単なる知識の獲得ではなく、未知への好奇心を燃料とした探究だ。
私は子どもの頃から、この好奇心を「冒険心」として感じてきた。
35歳で起業したのも、その冒険心に背中を押された結果だった。
そして53歳で事業を売却し、一つの挑戦を終えた。
私は幸運にも命を落とすことなく、次のフェーズ──セカンドハーフへ移行することができた。

しかし、身の回りの冒険者たちは、しばしば「挑戦の途上で死ぬ」ことで人生を終えている。

K2西壁で亡くなった平出和也さん。
出版記念の場で立川の石井スポーツに赴き、30分ほど直接話をした。
そのとき私は彼に聞いた。「K2の後、どうするのですか?」
明確な答えはなかったが、後のNHKドキュメンタリーで彼はこう語っていた。

「今回の挑戦で、途中までしか登攀できなくても、
その後を次の挑戦者たちが綱でくれれば、今回の挑戦の価値はある。」

彼は挑戦を自分一人で完結させることより、次の世代へのバトン渡しを重視していたのだと思う。
彼の死は悲劇ではあるが、挑戦の価値は次の世代に確かに引き継がれている。

数年前にグリーンランドで亡くなった山﨑さんもそうだった。
長野での講演のあと、八王子で昼食を共にし、
「グリーンランドに日本の研究所を作るのが夢だ」と語ってくれた。
彼が憧れたのは植村直己さんの『青春を山にかけて』だった。
言い換えれば、植村さんが生きた「夢の途中の死」を、彼もどこかで受け入れていたのかもしれない。

こうして私は思う。
冒険者が「死なずに」次のフェーズに移行するきっかけは何か?

私の場合、そのきっかけは事業売却という「ひとつの終わり」だった。
挑戦を終えることで、次の冒険に進む余白が生まれた。
そして今は、次の世代が挑戦を始めやすいように、
言葉を残し、場をつくり、問いを育てることに力を注いでいる。

冒険は終わらない。
ただ形を変えて続いていく。
命を落とすことで終わるのではなく、
次へつなぐことで成熟していく──
それが、セカンドハーフの冒険者として私が目指す生き方だ。

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