文・構成:K.Kato x ChatGPT
旅の始まりは、熱海駅近くの來宮神社だった。鳥居をくぐると空気が変わり、境内に入ると、樹齢二千年の大楠が悠然と立っていた。その巨木の前に立つと、時の流れが遠くへ引き伸ばされ、自分の呼吸も深くなる。幹にそっと触れると、幾世代もの人々の喜怒哀楽を見届けてきた木の沈黙が、静かに語りかけてくるようだった。その瞬間、法句経 第253偈 が胸に響いた。
「他人の過失を探し求め、つねに怒りたける人は、煩悩の汚れが増大する。
かれは煩悩の汚れの消滅から遠く隔っている。」
人の過ちに心を奪われるより、まず自分の心を澄ませること。大楠の前でそう誓ったとき、旅はもう単なる移動ではなく、心を調える行となった。
その足で向かったのがMOA美術館。館の石段を登り、朝の光に照らされる白い壁面を仰ぎ見た瞬間、ここが日常と切り離された場であることを感じた。特別展「プロジェクション又兵衛絵巻 重文 浄瑠璃物語絵巻」では、岩佐又兵衛筆の全12巻を通して物語が展開する。絵と詞書が交錯し、場面が移り変わるごとに時が流れていく。高精細映像やプロジェクションにより、金箔や群青の輝きが鮮明に浮かび上がり、観る者は絵巻の中を歩むような感覚を覚える。芸術と出会うことは、過去の人間の思索や感情と響き合うことであり、その対話は心の奥を震わせる。
午後は河津へ移動し、浜辺に立った。波が寄せては返す音に耳を澄ますと、胸の奥が深呼吸を始めるようだった。夕景に染まる海は、ただ「そこにある」ことの尊さを教えてくれる。日常の濁りが潮騒に洗われるように澄んでいった。
翌朝、宿のバルコニーに立ち、まだ暗い水平線を見下ろしながら夜明けを待った。波音が一定のリズムで響き、涼しい風が頬を撫でる。やがて空が白み、海面が金色に輝き始める瞬間、胸に浮かんだのは法句経 第234偈 の一節だった。
「落ち着いて思慮ある人は身をつつしみ、ことばをつつしみ、心をつつしむ。
このようにかれらは実によく己れをまもっている。」
前日、運転中にヒヤリとする瞬間があった。「自分だけは大丈夫」という過信がどれほど危ういかを思い知り、無事であった安堵とともに深い戒めを得た。身・口・意を慎み、心を整えて生きること──それが残りの人生を後悔なく送るための鍵なのだと確信する。
こうして、旅の三つの場面──大楠、美術館、海と朝日──は一本の糸で結ばれた。人間の創造に触れ、自然のリズムに溶け、見えざる時の力に耳を澄ます。すべてが「己を調える」という一つの学びへと収束していく。帰路、車窓に揺れる海面を眺めながら、次にこの道を訪れるときは、さらに澄んだ心で世界に向き合いたいと静かに願った。