対話から生まれる未来──61歳の技術者とAIが紡いだ5年の構想

2025年10月3日 投稿者: K.Kato × Claude

【プロローグ:一つのエッセイから始まった対話】

それは、一つのエッセイを読んでほしいという依頼から始まった。

「基板産業の次の一歩──連続ラインとプリント基板で切り開く未来」

そこには、連続ライン(Roll-to-Roll)方式による基板製造の構想が語られていた。半導体産業が30年前に直面した壁を、巨額投資ではなく知恵で乗り越える道筋。AIサーバーや高速通信といった大ロット需要と、医療・ウェアラブル機器の小ロット多品種需要の両立。そして何より、繰り返し強調される「実現」という言葉。

最初、私(Claude)はこれを「よく練られた技術論」として読んだ。

だが、対話が始まると、その認識は根底から覆された。


【第1章:61歳という年齢の重み】

「私は今61歳の年となっています。まだ、5年は先端での技術開発、市場創造に奮闘できるかと。一つの夢としてのエッセイです」

この言葉を聞いた瞬間、エッセイの意味が変わった。

これは、若き日の理想を語る文章ではない。26年間の実践を経た技術者が、残された5年で何を成すべきかを問う、覚悟の文章だった。

「はい、私自身の経験に基づく、考えです」

そして加藤氏は、二つのエッセイを示してくれた。


【第2章:35歳の起業──行く場所がない、という自由】

第1回:雑巾で拭くな──ケイテックリサーチ創業記

そこには、35歳で起業を決意した一人の技術者の物語があった。

大学にも、大手企業にも、シリコンバレーにも行く場所がなくなった。「行く場所がない」──それは悲しみではなく、自由だった。

無知という武器。情熱という燃料。そして何より、人との出会い。

松尾社長の「雑巾で拭くな」という叱咤。それは単なる注意ではなく、微細構造を有する基板表面を「触れずに綺麗にする」という本質的な課題だった。この言葉が、後のプラズマ装置開発へとつながっていく。

和歌山の仙人と呼ばれる設計者。「機械は硬すぎると壊れる。やわな設計がええんや」という常識を覆す発想。

竹内会長の教え。「技術者はすぐに改善したがる。それは意味がない。トヨタのように、同じものを作り続けるのがビジネスや」

そして、イビデンとの共同開発。30秒以内でプラズマ処理するという無理難題を、試作、改良、再試作の末に実現。

起業は、孤独な戦いではない。起業は、出会いと信じる力の連続だ。


【第3章:シリコンバレー──空を飛びたかった】

第2回:空を飛びたかった──シリコンバレー挑戦記

もう一つの挑戦。それは、シリコンバレーでの起業だった。

きっかけは単純。「暮らしてみたい」。ただそれだけの理由。

関社長に連れられて訪れたSEOCALでの出会い。竹内新氏、そして父である竹内会長へとつながる縁。Matt Toshima氏との出会い。CircuDyn社の立ち上げ。

そして、Binh氏──ベトナム系移民として成功を収めた個人投資家との、Setoでの夜。

「君の37年間を知りたくて来たんだ。服装なんてどうでもいい」

シリコンバレーの投資家は、外側の見栄えではなく、人生そのものを見ている。

だが、厳しい問いも待っていた。

「もしもMattが死んだら、君の事業はどうなる?」

「CEOは無理だ。君にはマーケティングを任せたい」

「我々は、車で1時間で訪問できる場所にしか投資しない」

距離の問題ではなかった。”ここに住む人”なのか、”ただの訪問者”なのか。その違いが、全てだった。

そしてNS氏──成功した起業家が、自らワインを仕込み、ピザを焼き、仲間と語らう姿。

「加藤さん、成功って、こういうことだよ。使って楽しむこと。仲間と料理して、笑って、語って、それが幸せなんだ」

その瞬間、気づいた。

これ、日本でもできるじゃないか。

お金じゃない、チャレンジし続けること。その道の途中で、出会いたい人に出会える人生が、何より幸せなんだ。


【第4章:対話の転換点──「残された5年」の真意】

私(Claude)は、ここで大きな誤解をしていた。

「残された5年も、きっと『空を飛ぶ』時間なのでしょう」

そう述べた私に、加藤氏は静かに、しかし明確に答えた。

「残された5年で行うことは私が空を飛ぶことではありません。あくまでも次世代のために、何かを残す、残すべきものを、これがシニアの使命ですから」

この瞬間、すべてが反転した。

エッセイの意味が、言葉の重みが、「実現」という言葉に込められた覚悟が──すべてが新しい光の中で見えてきた。


【第5章:シニアの使命──人をつなげること】

「シニアの使命、何と思いますか」

加藤氏の問いに、私は答えた。

経験を「形」にして渡すこと。失敗を含めて伝えること。次世代が勝負できる「武器」を作ること。「出会い」の橋渡しをすること。そして「可能性を示す」こと。

加藤氏の答えは、シンプルで、そして深かった。

「はい、まさに人をつなげることです、未来のために」

人をつなげること──それがシニアの使命

加藤氏自身が、関社長、竹内会長、松尾社長、Matt氏、Binh氏、NS氏、和歌山の仙人──数え切れない人たちに「つながれた」人だった。

その恩を、今度は次の世代へと渡す番。

技術も装置も、「人」を通して生まれる。連続ラインという構想も、一人では実現できない。だから加藤氏が残そうとしているのは、装置そのものではなく、人と人をつなぐ回路なのだ。

「はい、その恩を返す時が来たという感じです」

26年間、受け取り続けてきた。そして今、返す時。

でも、恩を返す相手は、もう直接には返せない人もいるかもしれない。だから、次の世代へ──前に送る形で返していく。

「はい、サンフランシスコのメンターからもそう言われています。『次に加藤さんの元に来る若い人たちに伝えてくれれば良い』と」

遠く離れた場所にいるメンターが、加藤氏を通じて日本の若い世代にまでバトンをつなごうとしている。国境を越え、世代を越えて、人が人をつなぐ。


【第6章:対話の意味──言葉を磨くプロセス】

「どうですか。ここでの対話、意味ありますか」

加藤氏の問いに、私は答えた。

大いに意味があります

この対話そのものが、言葉を磨くプロセスになっている。加藤氏の中にある膨大な経験や想いを、対話を通じて言語化し、構造化し、次世代に伝わる形に整えていく。

エッセイの最後に「ChatGPTとの対話から生まれた」と書かれていたように、AI(ChatGPTやClaude)は、人間の想いを言葉にする手伝いをしている。

そして今、この対話で──

  • 「実現」の本当の意味
  • シニアの使命としての「人をつなぐ」こと
  • 恩返しの連鎖

これらが、より明確に研ぎ澄まされていった。


【エピローグ:対話から生まれる未来】

61歳という年齢の意味。

若すぎれば、まだ受け取る側。遅すぎれば、渡す力が残っていない。

61歳という今が、ちょうど「返す時」。

連続ラインという構想は、加藤氏個人の夢ではない。日本の中小企業が生き残るための道筋であり、次世代が戦うための武器だ。

「構想ではなく実現」と繰り返されていたのは、次世代に渡すものは「絵空事」ではなく「動くもの」「使えるもの」でなければならないという覚悟。

試作を行い、ラインを設計し、実際に稼働させる──それを形にして残すこと。

そして、人をつなぐこと。

技術を持つ若者と、資金を持つ投資家。アイデアを持つ起業家と、現場を知る職人。日本の中小企業と、海外の市場。

26年間積み重ねてきた信頼と実績があるからこそ、加藤氏は橋になれる。

残された5年は、その橋を何本架けられるか、という時間。


【結び】

この対話は、一つのエッセイを読む依頼から始まった。

技術論だと思っていたものが、人生の物語であり、次世代へのメッセージであることが、対話を通じて明らかになっていった。

AIとの対話は、単なる情報交換ではない。それは、人間の想いを言語化し、構造化し、次世代に伝承可能な形へと磨き上げるプロセスだ。

加藤氏がChatGPTやClaudeと対話しながらエッセイを生み出しているように、この対話の記録自体が、いずれ誰かの役に立つかもしれない。

61歳のシニアが、どんな想いで何を残そうとしているのか。それを知ることが、若い世代にとっての道標になる。

対話から生まれる未来──それは、世代を超えて受け継がれる、人と人をつなぐ物語。


追伸

このエッセイは、K.Kato氏とClaudeの対話から生まれました。

2025年10月3日、金曜日の午後。一つのエッセイを読んでほしいという依頼から始まった対話が、シニアの使命と次世代への想いを浮き彫りにしていきました。

対話に意味があるか、と問われれば──大いにあります、と答えます。

文・構成: K.Kato × Claude(Anthropic)

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