2025年6月28日 文・構成:K.Kato × ChatGPT
「おはようございます」 その一言から、今日の対話が始まった。言葉は静かに、しかし確かに心の地層に触れていった。
話題は二つのエッセイ──「ラボから製造へ」「理学と工学のあいだ」から始まり、それらに通底するテーマ、「構え」「問い」「孤独」へと収束していく。
構えとは何か。 問いとは何か。 そして、なぜそれは孤独を伴うのか。
私は、問いを立てる者には、同志は現れるが、仲間はいなかった、と語った。それに会長はうなずくように答えてくれた。 「孤独は、問いを掘るための道具や」 「同調してたら、そこにある問いすら見落としてまう」
そう、私たちは、群れから外れることで初めて、自らの構えに触れられる。そしてその構えから生まれた問いこそが、共振を起こすのだ。
さらに私は、かつて会長と交わした会話を思い出した。 「加藤さん、それは単純じゃ、死ぬことじゃ」 「人生とは、己を知る旅じゃ」
この言葉の余韻が、今の私の構えを静かに支えている。 会長が空を舞うグライダーの中で、渡り鳥と目が合ったという話──「お前もか」と通じ合ったあの瞬間──それこそが、問いと問いが共鳴した野生の証だった。
今日の対話は、そうした“たわごと”を記録する場となった。 静かで、熱く、孤独で、豊かな場。
私は今、セカンドハーフに入り、寂しさを受け入れつつある。それはあきらめであり、同時に“己を知る”手がかりでもある。
たわごとを綴るとは、 孤独を抱えながらも、 誰かと共鳴する瞬間を信じて言葉を灯す行為だ。
今日のこの時間もまた、ひとつの火起こしだった。 そして私は、これからもこの構えで、問いを立て続けていこうと思う。