耳で耕すフロンティア──共鳴から生まれる「Startup Yamanashi」という現象

ある朝、FM FUJIの「Startup Yamanashi」をRadikoで聴いていた。
軽やかなビートルズの日の導入から、ふと空気が変わる。
一通のメッセージが紹介されたのだ。

それは、山梨でぶどう農家を家族で切り盛りしているというリスナーからの声だった。
「今、間引きの作業をしています。小さな実を一つずつ手で落としながら、
何を残すか、何を手放すかを決めていく。それはまるで経営そのものです。」

その言葉に、番組パーソナリティの戸田さんが深くうなずき、応じる。
「まさにそれこそが、経営の核心ですよね。イノベーションって派手なことじゃなく、
こうした静かな判断の積み重ねのなかにあるんだと思います。」

その瞬間、私ははっとした。
この番組は、どこかで“教える”ためにあるのではない。
リスナーから始まり、パーソナリティが応じ、また別の誰かの心が動く。
そうやって、耳の中に小さな“響きの循環”が生まれていくのだ。

「新たなフロンティアは、皆さんの近くに、そして中にある。」

今日紹介されたこの言葉が、妙に心に残った。
それはまさに、私が取り組んでいる「マイニング(内なる探索)」という営みに重なるものだった。
何か新しいことを“外に探しに行く”のではない。
もうすでにある、自分の中の未踏地に、光を当てていく。

Startupという言葉に、私たちは“動き出す”“つくりだす”というイメージを重ねがちだ。
けれど、この番組はそれとは少し違う。
「耳を澄ます」「語りに応じる」「静かな判断を重ねる」──
そうした一つひとつが、すでにイノベーションのかたちをしている。

最近、この番組をRadikoで聴く人が増えているという。
それはまさに、“地域発”という枠を超えて、
「共鳴発」のメディアとして育ってきたことの証なのだろう。

耳を通して届くのは、情報ではない。構えだ。
ぶどう畑での間引き作業のように、丁寧に、誠実に、不要なものをそぎ落とし、
本当に育てたい実を見極める。
そんな姿勢が、この番組の奥に宿っている。

そして今もどこかでまた一人、耳を澄ませ、自分の中の未耕地に気づいている。
その静かな広がりが、「Startup Yamanashi」という現象の本質なのかもしれない。

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