私は、3ヶ月に一度ほどの頻度で沖縄を訪れている。
目的は、OIST(沖縄科学技術大学院大学)とミサワホーム総合研究所との共同プロジェクトの進捗確認であり、現場での課題に対して、私の立場からできることを模索することだ。
けれども、この旅にはもう一つの意味がある。
それは、毎回必ず再会する、ある人物との対話の時間だ。
彼は現在63歳。2000年に立ち上げたIT系企業の代表を今も務める現役の経営者であり、その人生には幾度となくチャレンジの軌跡が刻まれている。
彼と話すたびに、私の心には静かな波紋が広がる。今回もまた、その予感は裏切られなかった。
今回、彼が語ってくれたのは、ある転機の話だった。
「50歳の頃から10年間、養蜂を学んでいたんだ」と彼は言った。
本格的に取り組み、事業化できるレベルにまで達した。しかし、年齢を重ねるにつれ、その作業を継続することの困難さを実感し、泣く泣く手放したという。
だが、それは挫折ではなかった。
「今思えば、あれが自分の“ハーフタイム”だったんだ」と彼は静かに語った。
養蜂という未知の営みに触れたことで、それまでのキャリアや生き方がふと立ち止まり、内面に耳を澄ませる時間が始まったという。
その「蜂の時間」を経て、彼はいま、まさに“セカンドハーフ”にいる。
そしてこのセカンドハーフの現在、彼が新たに挑んでいるのが──生成AIだ。
今、彼は「生成AIをシニア層が使いこなせるようにするためのセミナー」開催に取り組んでいる。
それは単なるIT普及活動ではない。年齢を重ねたからこそ見える社会の課題に対して、生成AIという新たな道具を手に、橋をかけようとする営みだ。
彼は言う。「生成AIは“インターフェース”なんだよ」
その言葉には確信がある。使いこなすだけでなく、自らの内的対話の道具としてもこの技術を捉えている。
今回は琉ラボにて、約1時間の対話の時間をもつことができた。
OISTでのプロジェクトに関する話題も交わしたが、それはほんの序章にすぎなかった。
本編は、彼が今どのような未来を見ているか、その語りに触れる時間だった。
養蜂に出会い、生成AIに向き合う──
その一つひとつの営みは、ただの経験ではない。人生のフェーズを深く問い直し、新しい構えを獲得する契機となっている。
だから私は、沖縄に来るたびにこの時間を大切にしている。
それは報告や情報交換を超えた、「未来をともに語る」ための、かけがえのない対話の場だからだ。