文・構成:K.Kato × ChatGPT
2025年の夏、私は沖縄を再び訪れた。OISTとの共同プロジェクトの進捗確認という明確な目的がありながらも、この旅はそれだけにとどまらない意味を持っていた。そこに集う人々、土地に根ざす文化、そして“外から来た者”としての自分との関係──そのすべてが、私に一つの構えを教えてくれた。
土地に根ざす人、越境してくる人
沖縄で出会った人々の中には、代々その地に暮らし、生活の肌感覚でこの島を捉えている者たちがいた。一方で、県外から、あるいは海外からこの地に移り住み、「この場所で何かを成したい」と願う者たちもいた。彼らは決して“開拓者”として振る舞うのではなく、むしろ謙虚に土地の記憶に耳を傾け、そこに自らの技術や問いを重ねようとしていた。
この“地元”と“外部”の対話は、一方通行ではない。むしろ、互いが互いを映す鏡となり、自分たちの立ち位置を再定義する。その過程そのものが、エコシステムを形づくる「共鳴の場」なのだと、私は実感した。
局所最適から始まる、新しい夢
昭和の時代のように、中央からの一律の施策で全国を一気に引き上げる時代はもう終わった。平成のような安定を装った停滞の時代も過ぎ、令和の今、私たちは「全員が良くなる社会」という幻想を静かに手放し始めている。
だからこそ、局所最適──つまり小さな経済圏の中での持続可能な幸福をどう設計するか、が問われている。沖縄で出会った多くの挑戦者たちは、資本主義的な成長モデルではなく、物々交換や助け合い、ふるさとへの愛着といった“非貨幣的な価値”に基づいて、社会の再構築を模索していた。
それは「夢を持てる社会」の再定義でもある。中央の制度に頼るのではなく、自分たちの手の届く範囲で、誰かとともに未来をつくる。その想像力と実践こそが、今の時代にふさわしい“夢の持ち方”なのだ。
響縁者としての構え
こうした場のなかで、私は自分の立場を改めて考えるようになった。「よそ者」「外部者」としてではなく、この場に想いを持ち、土地の文脈に敬意を払いながら問いを立てる者──つまり響縁者としての構えを持つこと。
響縁者とは、土地に根づいた人々と、外から来た者との間をつなぎ、新しい挑戦者たちの根を育てる媒介者である。決して前に出すぎることなく、しかし確かに、風を通し、芽を守る役割を果たす。
この構えは、沖縄だけでなく、全国各地の地域において必要とされているのではないか。小さな経済圏が無数に生まれ、響きあい、やがてそれが新しい「国のかたち」になる。その萌芽を、私は沖縄の地で静かに感じ取った。
おわりに
エコシステムは、制度ではなく関係性から始まる。信頼が育まれ、想いが重なり、そして挑戦が続く──そうした場を「構え」として受けとめること。それが、今の時代に必要な成熟のかたちなのかもしれない。
中央ではなく、辺境から。制度ではなく、縁から。
そして、答えではなく、問いから始める社会へ。