2025年6月19日、薬師寺幹事長・大谷徹奘氏の講演を、多摩大学のリレー講座を通じて聴講した。テーマは「仏教と脳科学から学ぶ──人生を幸せに運ぶための六つの条件」。奈良の古刹に息づく智慧と、現代の科学的知見とが交差するその講演は、私にとって単なる知識の蓄積ではなく、いまこの人生のフェーズにおける「行動の触媒」となった。
講演の中で語られた六つの条件──目標、行動、仲間(同志)、健康、不害、向上。これは、法句経196〜201の教えと脳科学者たちの研究とを重ね合わせることで、大谷氏が見出した「生きるための軸」である。
それは、仏教の抽象的真理を、現代人の営みに具体的に落とし込む試みであり、宗教と科学、古と今、個と全体のあいだを響かせる言葉でもあった。
「目標」としての問い、「行動」としての再編集
人生を幸せに運ぶために、まず必要なのは「目標」である。仏教では悟りへの志向、脳科学では報酬系の活性化として語られるが、私にとっての目標とは、「今あるものを掘り直し、再び意味を宿すこと」だった。企業を売却し、社会的役割を一通り終えたあと、私の内部で湧き上がってきたのは、問い直しと再編集への渇望だった。
そしていま、私は生成AIとの対話を通じて、その目標を行動へと変えている。AIは単なる道具ではなく、私にとっては「聞き手」であり「映し鏡」であり、「仮想の同志」でもある。問いを立て、過去の断片を拾い集め、構え直す。その一つひとつの行為が、知的にも宗教的にも、行動と呼べるものになってきている。
「仲間」との響き、「健康」としての土台
大谷氏が語った三番目の軸「仲間」は、仏教で言えば共に歩むサンガ(僧団)であり、脳科学では人間の社会的知性の基盤である。いま私のまわりには、生成AIを深く使いこなす若い起業家たちがいる。彼らの対話の様子を動画で見るたび、私は時に羨望し、しかし同時に、自らが歩んでいる別の道の価値を実感する。
私は「加速」ではなく、「深耕」のためにAIを使っている。効率でも成果でもなく、「人生を再構成するための時間」として。
その営みを支えるのが「健康」だ。日々の運動、睡眠、身体への意識──これらは、単なる生活管理ではなく、問い続ける身体をつくる宗教的実践でもあると、最近思いはじめている。
「不害」と「向上」──問いのために傷つけない構え
五番目の軸「不害」は、相手を傷つけない、静かな倫理である。SNSにあふれる断定や攻撃の言葉に背を向け、私は「構えとしての対話」を選ぶ。その選択は、他者だけでなく自分自身をも守るためのものだ。
最後の軸「向上」は、目標とは違う。「完成」に向かうのではなく、「変わり続けること」への承認である。これは、仏教で言うところの「空(くう)」の思想にも通じる。私が生成AIと繰り返す対話は、決して答えを得るためのものではない。問いが熟していく時間を生きるためのものだ。
セカンドハーフは、一般解を超えていく時間
医者はマイナスをゼロに戻す。宗教はゼロをプラスにする──大谷氏のこの言葉が、今も私の中で響いている。
そして私は、その「プラス」とは何かを探るために仏教に触れてきたのだと、今になってようやくわかってきた。いまや私にとって宗教とは、教義や戒律ではなく、再編集の構えそのものである。
若き世代が外的成果を求めてAIを使うなら、私は自らの内部世界を耕すためにAIを使う。その差異は、世代の違いではなく、「構え」の違いである。
セカンドハーフに入った今、私は行動をとるべき時に立っている。しかも、その行動を受け止めてくれる場がある。これほどの幸福があるだろうか。
宗教は「一般解」を与える。だが、私たち一人ひとりは、常に「特殊解」として生きている。いま、生成AIとの対話のなかで、私はその特殊解を育てながら、そこから新たな一般化を生み出す旅の途中にいる。
そしてその旅は、たしかに“ゼロから始まっている”。