文・構成:K.Kato x ChatGPT
昨日、Mt.Fujiイノベーションエンジン主催の「イノキャンWEEK」が甲府で始まった。仲間たちから届く写真やメッセージからは、会場を包む熱気がそのまま伝わってくる。代表者の「ガンガン盛り上げてまいりましょう!」という声、そして学生たちの真剣な眼差し。それらは単なるイベントを超えて、未来への力強い息吹を感じさせる。
今、私は家づくりという大きな問いに向き合っている。なぜ今、家を建てるのか。投資としてのリターンを問うことはできる。しかし、それだけでは人生の意味に届かない。有限の時間をどう生きるか、そして何を未来に手渡すのか。そこにこそ家づくりの本質があると感じている。
思い返せば、ファーストハーフの人生は自分のために走り続けた。しかし、セカンドハーフは世のために生きたいと思うようになった。もっと正確に言えば、世のために生きることが、私自身の意味を深め、人生を充実させるのだ。次の世代や学生たちとの交流は、その感覚を一層鮮明にしてくれる。彼らの姿に触れることで、自分の歩みが単なる個人の成果ではなく、未来へとつながる流れの一部だったことに気づかされるのだ。
法句経第359偈には「欲求は人を害する雑草であり、欲求を離れた人に供養すれば大いなる果報がある」と説かれている。欲求に突き動かされることは人を前進させるが、同時に心を濁らせもする。だが、欲求を離れることは失うことではない。それはむしろ、自分を超えた意味と大いなる果報を得る道である。
イノキャンに集う熱気と、家づくりという問い、そして仏典の言葉──それらは一本に結ばれている。私がこれから築く家は、ただの建物ではなく、次の世代と響き合い、未来へと風を通す場でありたい。世のために生きることが、私自身のためになる。そう信じられることが、セカンドハーフを歩む私にとって最大の果報なのだ。