空飛ぶ鳥の跡──セカンドハーフ第1章にて

文・構成:K.Kato x ChatGPT

今朝出会った法句経第93偈は、私の胸に深く響いた。

その人の汚れは消え失せ、食物をむさぼらず、その人の解脱の境地は空にして無相であるならば、かれの足跡は知り難い。空飛ぶ鳥の迹の知りがたいように。

煩悩と欲から解き放たれた人は、痕跡を残さずに生きる。
この言葉を読むとき、私は自らの歩みを思わず振り返る。
若いころは、自分の存在を示し、痕跡を刻むことにこそ意味があると信じていた。
会社をつくり、成果を残し、次世代に語れる何かを築こうとしてきた。
だが今は、足跡を残すよりも、気配すらも薄め、ただ場の中に存在することの方に魅かれている。
そのほうが、きっと次の世代の衝動を呼び覚まし、より大きな動きが生まれるのではないか──
そんな予感がするのだ。

先日のMt.Fujiイノベーションキャンプでは、岩崎副学長と「研究現場と製造現場の視界のズレ」について短い時間だが意見交換ができた。
研究者は論文と学会で評価されるテーマに注力し、現場の切実な課題は拾い上げられない。
一方で製造現場では、解決策になりうる技術があっても言語化されず、研究者に届かない。
結果として、過去の研究成果が眠ったままになり、本当に必要なDeep Techの芽が出ない。

そのとき、対話の中で「通訳」が必要性に関して共感があった。
アカデミアにも、現場にも深く関わった経験を持ち、課題を見つけ、解決へと導ける人材。
単なる産学連携担当者ではなく、技術選定からPoC設計、事業化まで一貫して描ける人。
いわば、一騎当千の翻訳者

しかも、その人は今のホットな課題にアンテナを張り、優先順位をつけられる感覚を備えていなければならない。
複数人のチームでは足並みが揃わず、解釈がずれ、スピードが落ちる。
だからこそ、一人の頭の中で現場のニュアンスと研究者の反応を統合し、
矢のようにまっすぐ解法に落とし込む存在が必要なのだ。

もしかすると、今、私自身がその役割を担う一人として動くべき時期にあるのかもしれない。
イノキャンの場で、若いメンターのように夜通し語り合うことはもうできない。
だが、私にしか見えない課題、感じ取れる兆しがある。
私がまず一つの課題を拾い、研究と結びつけ、形にしてみせる。
そのプロセス自体が、次の世代への道しるべになるのではないか。

痕跡を残さないとは、ただ姿を消すことではない。
むしろ、風が通る道を開けることだ。
鳥の跡が空に残らなくても、風は確かに動いている。
私がすべきことは、その風を起こし、次の世代が自ら羽ばたくきっかけをつくることだ。

セカンドハーフの序章は終わった。
いま始まる第1章は、私が道そのものになる章なのだ。

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