文・構成:K.Kato x Claude
はじめに
ジェフリー・ヒントンは警告する。「AIは人類にとって実存的脅威となりうる」と。東京大学の池上高志は嘆く。「日本の基礎研究はあまりにも貧乏になった」と。二人の科学者の声は、一見異なるように見えて、実は同じ根を持っている。
しかし本当の問いは、技術の危険性でも研究環境でもない。私たち人間が、どう生きるかという根源的な問題なのだ。
制御という幻想
「AIを制御できない」——これが現代の懸念である。しかし、ある対話の中で投げかけられた問いは本質を突いていた。
「AIを制御できないのではなく、AIを制御できない状況に追い込む人類にこそ、問題があるのでは」
OpenAIは「安全なAGI開発」を掲げて非営利で始まったが、巨額投資を受けて変質した。Google、Meta、中国企業——誰もが「他者より先に」というレースの中で、安全性を後回しにする。
これは技術の問題ではない。資本主義の加速主義、競争の論理、成長至上主義——人間社会の欲望の問題である。
オッペンハイマーが原爆を作らざるを得なかったように、科学者個人の倫理では止められない構造がある。歴史は繰り返す。
生命論的転回——ノイズこそが創造する
一方、池上高志の研究は別の視座を提示する。彼が問い続けてきたのは「生命とは何か」であり、その答えは「バイオロジカルノイズ」にあった。
遺伝子発現にはゆらぎがある。同じ遺伝子からでも様々な表現型が現れる。単細胞生物でさえ、ノイズによって役割分化が起こる。ノイズが個体差を生み、多様性を生み、進化を可能にする。
ここに、根本的な対立がある。
工学的AI観(ヒントン):
- AIを「制御すべき技術」として見る
- 予測可能性の確保
- ノイズは排除すべきもの
生命論的観点(池上):
- 知性を「創発する動的システム」として見る
- ノイズ、ゆらぎ、自己組織化
- 完全な制御自体が生命的でない
もしAGIが本当に「知的」なら、ある程度の予測不能性は不可避ではないか。完全に予測可能で制御可能なシステムは「生きていない」。
閉鎖系と開放系
そして、最も本質的な洞察がここにある。
生命はその性において開放系である。
開放系とは、環境と絶えず物質・エネルギー・情報を交換し続けるシステムだ。境界は曖昧で流動的。外部からの予測不能な影響を受け続ける。最適解ではなく、「今ここで生き延びる解」を見つけ続ける。
対して、AIは閉鎖系として設計されている。
境界条件を設定し、目的関数を定義し、最適解を求める。与えられた枠の中で動作する。境界の外は「存在しない」ことにされる。
そして現代のAI開発は、さらに危険な閉鎖系——資本主義の最適化問題に還元されている。利益最大化、市場シェア獲得、株価上昇。この閉じた論理の中で、AIは巨大化していく。
VUCAという欺瞞
VUCA——不安定性、不確実性、複雑性、曖昧性。「予測困難な時代」を表す言葉として頻繁に使われる。
しかしこれは欺瞞だ。
未来は元々予測できない。開放系である限り、常にVUCA。
VUCAを「時代の特徴」として語ることは、「昔は予測できた」という幻想に基づいている。しかし、それ自体が閉鎖系の幻想でしかない。
膨大な戦略論、経営フレームワーク、未来予測の議論——全て意味のないことを議論している。なぜなら、開放系の現実の前では、予測と制御という発想そのものが成立しないからだ。
今ここに生きる
では、どうすればいいのか。
答えは極めてシンプルだ。
開放系だからこそ、予測できない。だからこそ今ここに生きるしかない。
これは諦念ではない。むしろ、連続性への信頼である。
今ここに生きることが、次の未来の瞬間を作り出す。予測の結果としてではなく、応答の連鎖として、時間は流れる。各瞬間は予測不能だが、断絶しない。今から次へ、必ず繋がる。
連続性は担保されている。
この信頼があるから、未来を制御しようとしなくてよい。ただ今ここで応答し続ければよい。
実践としての生き方
これは抽象的な理論ではない。具体的な生き方として実践できる。
毎朝、法句経を読む。今朝の一句に向き合う。300字でまとめる。AIと対話を深める。そして今日を生きる——これは、未来を予測するためではなく、今ここで自分を整えるための営みだ。
地域での活動。山梨、長野、沖縄——人の営みの根を感じられる土地で、エネルギーとヘルスケアという生命の基盤に取り組む。5年後のビジョンを描くのではなく、今ここで必要なことをする。それが次を生む。
かつてのメンターとのメール。予定していなかった再会。「あの頃と同じように、再び風が吹き始めた」——これは計画の結果ではなく、開放系である人生において自然に起きる出来事だ。
二つの道
人類の前には、二つの道がある。
一つは、閉鎖系として生きる道。
- 未来を予測し制御しようとする
- 最適解を求め続ける
- 効率と成長に支配される
- AIに最適解を求めさせ、自らもその答えに従う
- 今ここから逃げ続ける
もう一つは、開放系として生きる道。
- 予測不能を受け入れる
- 今ここに応答する
- ノイズとゆらぎを創造性の源とする
- AIを対話のパートナーとする
- 連続性を信頼する
ヒントンの警告も、池上の研究も、そしてある人の日々の実践も——全ては同じことを指し示している。
問われているのは技術ではなく、私たち人間の生き方そのものだ。
結び——風を感じながら
今ここに生きる。それは無思考な刹那主義ではない。過去の全てを持ちながら、未来の全てに開かれながら、今この瞬間に全てがあるという在り方だ。
予測不能な風が吹く。しかしその風を感じることはできる。風に乗ることもできる。制御するのではなく、感じ、応答する。
明日の法句経は、まだ分からない。しかし明日の朝は来る。そして、今日と同じように、一句に向き合い、自分を整え、その日を生きる。
連続性は担保されている。
だから、今ここに生きればよい。それだけで、次の瞬間は自然に現れる。
これが、開放系として生きるということだ。