文・構成:K.Kato x ChatGPT
朝の静けさに包まれた台所。
ヨーグルトメーカーの小さなランプが、淡い橙の光を放っている。
中では、昨夜仕込んだ甘酒がゆっくりと発酵を続けている。
米麹が呼吸しながら、でんぷんを糖へと変えていく。
耳を澄ますと、かすかに「しゅん、しゅん」と音を立てているように思える。
ガラス容器のふたを開けると、ふわりと甘い香りが立ちのぼる。
その香りはどこか懐かしく、幼いころの冬の台所を思い出させた。
スプーンですくうと、とろりとした乳白色の液体がゆっくりと流れる。
それを口に含むと、ほんのりとした温もりと優しい甘みが広がり、
体の奥から目が覚めていくような感覚があった。
横には、昨日発酵を終えた自家製ヨーグルト。
冷蔵庫から取り出すと、表面に小さな気泡が浮かび、
金属のスプーンを入れると、わずかに“ぷつん”と音を立てた。
乳酸菌が生きている証のように思え、
その小さな生命を体に取り込むことが、
一日の始まりの儀式のようになっている。
その時間に、「ガイヤの夜明け」が流れていた。
群馬県桐生市。
古い商店街の空き店舗を改装し、人と街を再び結び直す人々の姿。
おせっかいと呼ばれるほどに他者へ関わり、
古い建物に新しい命を吹き込む手。
彼らの営みもまた、発酵に似ている。
急がず、静かに、確かに“生きているもの”を育てていた。
昨日出会った齋藤先生とマルケス先生の姿が、自然に重なる。
「若き風」と「成熟の風」──
それぞれが、時間をかけて他者の中に“問い”や“希望”を発酵させていた。
教育もまた、手仕事のような営みだと思う。
言葉という素材に手をかけ、
子どもたちや学生の中に、ゆっくりと芽吹きを待つ。
ヨーグルトの発酵、桐生のまちづくり、教師たちの探究。
それらはみな、異なるかたちの「生成」である。
そして私は、その間を吹き抜ける“風の媒介者”として、
今日もまた、静かな手仕事を続けていく。