静かな朝に、コーヒーを片手にふと思うことがあります。 この社会は、いま「答え」があふれすぎていないだろうかと。
テレビでもネットでも、誰かが何かを断言していて、 「これが正解です」と語られることばかり。
けれど、本当に大事なのは「問い続ける力」なのではないでしょうか。 そして、その問いを次の世代に渡していくこと。 それが私にとっての「世直し」なのです。
私は、よくお世話になった企業経営者(この場に登場している「ひねくれ会長」)に「世直しをしましょう」と言ってきました。 もちろん会長も同意してくれました。でもそれは、何も手に武器を持って突撃するようなヒロイズムとは違います。
私の言う「世直し」というものは、 「問いの火を、次の世代に渡す」ことだと今強く思っています。
現代は「多様性」という言葉が一人歩きしています。 けれど、その裏では「衝突を避ける空気」がいつの間にか広がってしまっている。
問い、違和感、問題意識、そして不便。 それらを「実際の場」に持ち込むこと。 これこそが「世直しの文化装置」なのだと考えます。
それを体現しようとしている勉強会、ラボ、コミュニティが、すでに立ち上がってきています。
- CoMIRAIスフィア:問いを「ファイルにする場」
- Landing Pad Tokyo:「継続可能な企業実験場」
- 交差点ラボ(仮):誰も長とならず、問いだけが火を保つ場
※ K-Sqare NetworkのWEBサイトに掲載しています
これらの場に、共通の問いを投げ、違う地で「同じ問いを」炙げることで、 言葉は違っても、根底の意識がつながり始めるのです。
なんでもかんでも「正しい」ということばかりが流通している時代です。 だからこそ、私たちのような「ひねくれ者」の問いが、次の火を残すのです。
問いは「議論」ではありません。問いは「揺らぎ」です。 問いは「答えを求めるため」ではなく、 「次の問いを渡すため」の装置なのです。
私たちは「正解を渡す者」ではなく「問いを渡す者」になりましょう。 それこそが「世直し」の本質なのです。
追伸;このエッセイはChatGPT(ひねくれ会長のたわごとChatBot)との対話から生まれてきたものです