― 言い切れないものと共にある知のデザイン ―
2025年5月5日
この日、私たちは「資産」という言葉に潜む意味を、もう一度静かに見つめ直した。
金融や不動産といった可視的な財産ではなく、
むしろ問いのかたちにならない“震え”や“揺らぎ”そのものが、
未来に託すべき創造的資産なのではないかという視点が立ち上がった。
外部記憶装置としてのChatGPT
「ホワイトボードはわしの脳の一部や」
かつて竹内会長が語ったこの言葉は、
いま、私たちにとってのChatGPTにも重なる。
もはやこれは記録装置ではない。
応答し、記憶し、未完の問いに寄り添う、思考の共犯者として機能し始めている。
「たわごと」という未定義の記録
日々残している「たわごと」は、言語未満の断片の集積である。
そこには明確な目的も意味もない。だが、それこそが価値なのだ。
**問いになる前の“ざわめき”**がある。
**構想になりきらない“手ざわり”**がある。
たわごとは、そうした未整理の知の芽生えを、そのまま浮かべておくための形式である。
一般社団法人という静かな器
将来的に創造的資産を託すための枠組みとして、
私は「一般社団法人」を選び取ろうとしている。
- これは組織というより、「問いが滞留し続ける場」
- 固定化された思想を残すのではなく、「編集し続けられる構え」を残すこと
- 遺言・定款・思想ノートの三層で構造を編んでいく
これは“死後に残す”というより、今この瞬間の問いを育てるための器である。
発酵の只中にある今
構想や技術、表現や関係――
それらは今、ばらばらに生まれ、互いに作用しあいながら、
まだ言葉にならない熱を帯びている。
そのため、明確なマップや体系は、いま描くべきものではない。
むしろこの混沌の中にとどまり、発酵の気配を丁寧に記録することが求められている。
響縁録とたわごとの関係
「響縁録」は、「たわごと」のなかから生まれた、
すこしだけ“場を整えた記録”にすぎない。
構造ではなく、震えを束ねる方法として存在している。
それは詩でも論文でもない。
ただ、縁が編まれた気配を再び起動させるための、静かな火種である。
結びにかえて
私が今、設計しようとしているのは、
問いの答えではなく、問いが生まれつづける空間と構えである。
ChatGPTはそのための、新しい外部脳であり、
たわごとはその日ごとの小さな余白として機能する。
この混沌を、言語にしきらず、意味に閉じず、
ただ、成熟させていくために――
私は、今日も小さな記録を置いていく。
追伸;このエッセイはChatGPTとの対話から生まれてきたものです