誠意の遅延と怒りの所在

令和七年十一月七日、当社事務所にて突然の停電が起きた。もちろん作業中の停電である。これは、私たちの入居するインキュベータ施設の高圧ケーブルが絶縁破壊を起こしたためであった。原因は、矢崎電線製E-Tタイプのケーブルに生じた水トリー現象。経産省は数年前に注意喚起を出していたが、リコールには至らず。結果として、使用期間の短い設備で事故が起き、被害は現場(入居企業の業務)に及んだ。

その後、施設の責任者から正式な報告書が届いたのは三日後だった。技術的には納得できる説明であったが、心のどこかに重たいものが残った。なぜ、この報告が事故当日に全入居企業へ送られなかったのか。事故そのものよりも、その**「遅れ」**が誠意の欠如として響いた。
誠意とは、形式や速度の問題ではない。だが、人の痛みを察し、すぐに心で応じること──それが誠意の核ではないだろうか。

法句経二二一は語る。「怒りを捨てよ。慢心を除き去れ。いかなる束縛をも超越せよ。」
怒りを捨てるとは、理不尽を見逃すことではなく、理不尽に心を奪われないこと。慢心を除くとは、「自分ならこうするのに」という正しさへの執着を手放すこと。そして束縛を超えるとは、怒りにも誠意にもとらわれず、ただ淡々と誠意を生きることだ。

対応の遅さに心が波立つ自分を見つめながら思う。人の誠実さは、反応の速さではなく、沈黙の中でも揺らがぬ誠意にあるのかもしれない。怒りを超え、誠意を失わずに立つこと──それが、無一物となる第一歩なのだ。

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