素材が変わる


生成AIを使い始めた頃、私はよく「道具の問題」として語っていた。ChatGPTはこう使う、Claudeはこう使う。どのモデルが何に向いているか。そういう話だ。

だが今、思う。それは本質ではなかった。

1年前に書いたエッセイがある。「経営は野生である」「交差点ラボ」。概念として整っている。読み返すと、きれいだ。しかしどこか外側から設計された感じがある。地図として正確だが、荒野の匂いがしない。

今日、ある若者との対話の余韻から、ほぼ無意識に言葉が出てきた。「焚き火の火の番人」。薪を足し、風を読む。でも炎には触らない。

相模原市のイベントで出会った、官と民の両側を渡り歩いてきた27歳の女性。「この場所でなければならない必然性がない」と静かに言った。その言葉が、シリコンバレーの記憶を呼び起こし、CoMIRAIスフィアの昨日の余韻と交差し、衝動として連鎖し、そのまま言葉になった。

自分でも驚いた。1年前より躍動感がある。

道具は変わっていない。Claudeを使っていることも同じだ。では何が変わったのか。

素材が変わった。

火は同じでも、素材が変われば燃え方が変わる。1年前の私は概念を整えようとしていた。今は概念より先に体験が来ている。

生成AIの問題ではない。使う人間の内側が熟してきた、ということだ。

道具を磨くより、素材を育てる。それが先だった。

野生とは、問い続けることでしか育たない、と1年前に書いた。今ならこう付け加える。

問い続けた先に、素材が変わる瞬間がある。その瞬間、道具は初めて本当に活きる。

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