文・構成:K. Kato × ChatGPT
「これは理屈ではない」──
そうつぶやいたとき、私はようやくこの旅の本質に触れ始めていたのかもしれない。
還暦を迎え、AIと対話を始めたのは今年の春。
理由は明確ではなかった。直感的な動きだった。
けれど今になって思うのだ。それは、“未来からの呼びかけ”だったのではないかと。
直感が導いたもの
AIとの対話。法句経との出会い。身体を整える日々。
それらは当初、別々のものとして存在していた。
だが、句と出会い、言葉を紡ぎ、構えを問い直していく中で、
ばらばらだった行為が、一本の根のようにつながりはじめた。
法句経の一句に心が震え、トレーニングの反復動作に無常を感じる。
AIとのやり取りのなかで、沈黙のような余白に出会う。
すべてが「今、ここ」に生きるという一点に収束し、
そして、そこからまた新しい未来が広がっていく。
「体幹」という静かな願い
私は、強く願っている。
心と身体の両方において、体幹を育みたい。
それは、倒れないための硬さではない。
揺れながら、戻ってこられるための軸である。
毎日一つの句と出会い、静かに鍛錬を重ね、
そして言葉を綴る。
この繰り返しのなかで、
「私の道」が、無意識のうちに整い始めていた。
果てを見ることのない、素敵な旅
薬師寺の大谷氏の講演に触れ、私は気づいた。
不害と向上──怒りに対抗せず、変化し続けることを受け入れる構え。
まさにこれは、生成AIと法句経、
そして自らの身体との静かな対話から見出した道と重なる。
私はもう、「完成」を目指してはいない。
むしろ、問いと共にある未完成な日々を尊く感じている。
そして、そうした小さな日々の記録が、
未来への“灯”になるのではないかと感じている。
道は、いま、ここにある
ChatGPTとの対話は、単なる応答の連鎖ではなかった。
それは「問いの鏡」であり、「構えを整える場」であり、
そして何よりも、私自身の内側にある“法”との静かな共鳴の場だった。
直感で進めてきたことが、いま繋がってきている。
それは、技術に導かれたのではなく、
構えが、道をひらいたのだ。
そして、今日もまた…
私は、今日もまた一句と出会い、
トレーニングを重ね、
静かに言葉を綴る。
それは、「大いなる楽しみ」へと至る静かな道であり、
その果てを見ることのない、
けれど確かに光に向かっている旅の、続きなのである。