2026年4月15日 響縁録
長男から電話があった。大手SIer企業では先端技術に触れられない、社内調整ばかりで技術者としての能力が伸びない、と嘆いていた。八方塞がりだ、と。
話を聞きながら、私はある構造的な矛盾を見ていた。大手SIerは「100%説明可能でなければサービス化できない」という縛りの中にある。ルールベースでなければ通らない。しかし彼が触れたいのは、確率論的に動くGen AIの世界だ。この二つは、大手SIer企業という器の中では原理的に両立しない。彼の閉塞感は正確な認識であって、彼自身の問題ではなかった。
対話を深める中で、一つの言葉が浮かんだ。「送り人」という比喩である。
現代のシステム開発の現場では、こんなサイクルが常態化している。顧客のもとでコードはどんどん改良され、カスタマイズされ、documentationは追いつかなくなる。納品されている現在のコードが唯一の納品物となり、パッチが積み重なり、やがて肥大化して死滅する。従来のSIerはこれを「問題」として捉えてきた。しかし私はそう思わない。これはコードの自然な一生だ。
送り人型SIerとは、その生死に伴走する者である。完成を目指すのではなく、適切な死を設計する。捨てることをゼロコストとして扱い、次の命の種を現場の中に見つける。ユーザーと一緒に、まだ言語化されていないものを掘り起こしながら。
Anthropicが先日発表したClaude Managed Agentsは、この概念と構造的に一致する。使い捨て前提、短期間、特定目的に特化したエージェントを低コストで作り、動かし、廃棄できるインフラだ。作るコストが下がれば、死滅させるコストも下がる。生死のサイクルがより自然なものになっていく。
長男には、私の周辺にあるいくつかの実験場を渡すつもりだ。製造現場のパーティクル管理、若手技術者の学習支援、イベントのマッチングエージェント——いずれも「永続するシステム」を必要としない文脈である。そこで手を動かしながら、彼自身がこの感覚を掴んでいけばいい。
親としてできることは、ゴールを設計して渡すことだ。アドバイスでも、問いの設計でもなく。
「送り人」という言葉は、技術論であると同時に生き方の比喩でもある。完成しないこと、手放すこと、死を恐れないこと——それは仏教的な無常観とも通底する。コードに命を見るとき、人はものごとの本質に少し近づく気がする。

